2023年12月26日火曜日

観念言語の利点と限界を考える!

言語6階層説の最終段階として、観念言語を取り上げてきました。

自然言語の網分による思考言語をさらに進め、人工言語の網分けによって生まれたのが観念言語です。

それがゆえに、圧倒的な利点を生み出すとともに、幾つかの欠点も潜むことになります。

どのような利点と欠点があるのでしょうか。

この件については、すでに思考・観念言語の利点と限界を考える!】において詳述していますが、そこでは「思考言語」と「観念言語」を分けていませんでしたので、今回は観念言語に絞って、その特性を整理してみました。

観念言語は、自然発生的な地縁言語共同体に基盤を置く自然言語の応用から始まった思考言語を大きく超えて、専門分野や特異分野といった、特定の理”縁言語共同体において新たに創造された人工的言語です。

それゆえ、思考言語と比べてみると、次のような特性が強まってきます。

①自然発生的な音声性や包括性が薄くなり、極めて人工的な構造となるから、議論や論文などで使用されるにつれて、目的性や正確性などの識知要素が濃くなる。

②自然言語、交信言語、思考言語に比べ、多義性や曖昧性などが消えて、極めて純粋な意味が濃くなるから、意味も文法もともに取捨選択されて、明確かつ狭義的なものなる。

③特定分野の専門家などの理縁集団によって創造され、使用されるケースが多くなるが故に、地縁発生的な要素が消えて、ほとんど“理”縁的な構造となる。

当ブログの視点からいえば、「身分け」が捉え、「識分け」が認めた現象の中から、特定の思考目的に見合うように「網分け」したモノコトだけを、シニフィエ(意味されるもの)とするように作り上げられたサイン(記号)であり、それらを繋ぐシンタックス(繋がり方)もまた、特定の目的の範囲内に定められている言語体系、といえるでしょう。

とすれば、この言葉には、次のような利点と限界が潜んでいます。



利点

狭義的正確性が強く、特定の目的となる現象を理知的に理解し、的確に対応することができる。

❷理縁的共同体に属する人々の間で、理解と利用が広まるにつれ、共同的な思考行動を拡大できる。

❸現象を細分化した、個々の言語をネットワーク的に連結することで全体を把握し、システムとして対応できる。

限界

❶狭義的、あるいは一義的であるため、現象の一面しか表示(シニフィエ)できず、全体像を見失う恐れがある。

専門家集団の内部でしか意味交換ができず、通常の地縁集団や日常集団などとの間では、言語として流通することができない。

❸ネットワークに基づくシステム的な対応では、ラッピング状に分節化されたストラクチャーの全てを動かすことはできない。

(システム的対応とストラクチャー的対応の違いについては【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える!】を参照のこと)

以上のように見てくると、科学用語や数理記号などに代表される観念言語では、さまざまな社会現象はもとより、気候変動やパンデミックなどの自然現象についても、その対応力は必ずしも完璧なものではなく、常に浮遊しているものだ、と理解すべきでしょう。

2023年12月18日月曜日

言語6階層説:観念言語とは・・・

言語6階層説の6番めは「観念言語」です。

観念言語とは、「身分け」「識分け」「言分け」が捉えた事象を、「網分け」の理知によって精細に捉え直し、音声や記号などの創作言語で表現した言葉です。

この言葉は、専門的知識人や特定社会集団などの“理”縁共同体が、高度な思考するための記号として使われています。


前回の「思考言語」は、自然言語の「網」を使いつつ、発声しないまま、さまざまな選択を促す言葉でした。今回の「観念言語」は、意図的な「網」を使って、発声の有無に関わらず、さまざまな選択を促す言葉です。

意図的な網による区分、つまり「網分け」とは【言語6階層説へ進展する!】で述べたように、「言分け」による「分節」によって生み出された自然言語や自然記号に対し、さらに特定の意図による「網」をかけ、細分化された言葉や記号を創り出すことです。

「言分け」で生まれたコト界では、自然発生的に生み出された自然言語によって、日常的な会話や文通、さらには思考が行われています。

だが、より高度な考察や思索などになると、人類はコト界の中に、もう一つ、「網分け」によって新たに仕分けされた世界、アミ界という次元を生み出します。

このアミ界において、人類は人為的にさらに抽象化された思考言語を使うようになったのです。

具体的な事例については【思考・観念言語は地縁共同体から”理”縁共同体へ!】で取り上げたように、以下の言語が相当します。

音声言語・・・思考語、学術語、専門語など、表現対象に特定の網をかけ、自然言語をより先鋭化、限定化した言語群

文字言語・・・数字、学術文字、専門文字など、表現対象に意図的、特定的な網をかけ、新たに創造された文字記号群

表象記号・・・物理記号、科学記号、学術記号など、表現対象を特定するため、意図的、固定的に創造された論理記号群

このような言語階層説は、古くから唱えられてきました。

例えば古代ローマ帝国の神学者・哲学者アウグスティヌスの言語三階層論でも、会話に使う自然言語、言語が生まれる前の情動言語、思考に専用する思索言語三階層説が提唱されています。

これに当てはめると、思索言語には前回の思考言語と今回の観念言語両方が相当することになります。

しかし、思索という行動には、日常言語レベルの通常思考と、専用言語を使った濃密思考という、段階的な進展があると思います。後者で使われる言語こそ「観念言語」ということになるでしょう。

だが、それがゆえに、観念言語には、圧倒的な利点とともに、幾つかの欠点も潜むことになります。

次回からは、それらの問題を考えていきましょう。

2023年12月7日木曜日

言語6階層説:思考言語とは・・・

言語6階層説の5番めは「思考言語」です。

思考言語は、共同体との交流を通じて個人の中に育まれた「自然言語」を、音声や記号で自分の思考用に使用する言語です。



この言語は、「言分け」による「コト界(言知界)」から、「網分け」による「アミ界(理知界)」への移行を促す言葉でもあります。

「網分け」とは、【言語6階層論へ進展する!】で述べたように、「言分け」による「分節」によって生み出された自然言語や自然記号に対し、さらに特定の意図による「網」をかけ、抽象化された言葉や記号を創り出すことです。

こうした言葉や記号の中心にあるのは、次回で述べる「観念言語」ですが、抽象化された言葉や記号を創り出す前に、自然言語や自然記号によって「網」をかけ、対象を比較することでシニフィエ(意味されるもの)を明確化する、という段階があります。ここで使われる言葉が「思考言語」です。

目の前に差し出された未知の果物を、「食べる」か「食べない」という言葉で「網分け」し、どちらを選ぶべきかを「考える」言葉ともいえるでしょう。

それゆえ、「思考言語」は「コト界(言知界)」と「アミ界(理知界)」の境界を行き交う言葉ということにもなります。

 

具体的な事例で考えてみましょう。













●色鮮やかな対象「」を、【赤(進むな)・黄(止まれ)・緑(進める)】という視覚言葉で「網分け」し、「横断禁止」と考える言葉です。

●どこかから聞こえてくる「泣声」を、【泣く・笑う・唸る】という音声言葉で「網分け」し、泣声」と考える言葉です。

●漂ってくる匂いを、【桜・菜の花・蒲公英・菫】などという記号イメージで「網分け」し、「桜が香ってくるな」と考える言葉です。 

●飲料のを、【甘い・辛い・苦い・酸っぱい・うまい】という味覚言葉で「網分け」し、「甘いジュースだ」と考える言葉です。 

●真冬の「寒さ」を、【寒い・暑い・涼しい】という触覚言葉で「網分け」し、「今朝は一番寒いな」と考える言葉です。 

以上のように、感覚が「認知」し、意識が「識知」した対象を、共同体で使われている言葉で自覚するのが「自然言語」であり、それらを「網」化したうえで使用するのが「思考言語」です。

 

従来の言語論でいえば、「思考言語」は「内言」や「言語」に当たります。

心理学者のL.S.ヴィゴツキーは、人間の発話を「内言」(音声を伴わない、内面化された思考のための言語)と、「外言」(通常の音声を伴う、伝達の道具としての社会的言語)に分け、「外言」が内省化したものが「内言」と位置づけていますので、「思考言語」は「内言」ということになります。

一方、言語学者の.チョムスキーは、言葉を「言語(internalized language, I-language)」(脳と心の中に実装された知識体系としての言葉)と、「E言語(externalized language, E-language)」(言語の産出物として外界に表出する言葉)を区別したうえで、言語」が生み出すものが「E言語」だ、と述べていますので、「思考言語」は「言語」ということになります。

これらの分類では、頭や心の中で行き交う言葉を、言語能力が生み出した段階の言語(自然言語)と、それらをさまざまに駆使する思考段階の言語(思考言語)を分けていませんので、両者が混在しています。つまり、「自然言語」と「思考言語」が両方とも「内言語」「I言語」ということになり、両者を区別していないのです。

しかし、両者の間には違いがあります。どのように違うのか、当ブログの立場で言えば、「自然言語」は「言分け」が捉えた事象を、音声や記号にともかく置き換えた言葉であり、「思考言語」は自然言語による、何らかの「網」をかけ、使用者の選択性を促す言葉、といえるでしょう。

とすれば、「思考言語」とは、自然言語の網を使いつつ、発声しないまま、さまざまな選択を促す言葉なのです。