言語6階層説の5番めは「思考言語」です。
思考言語は、共同体との交流を通じて個人の中に育まれた「自然言語」を、音声や記号で自分の思考用に使用する言語です。
この言語は、「言分け」による「コト界(言知界)」から、「網分け」による「アミ界(理知界)」への移行を促す言葉でもあります。
「網分け」とは、【言語6階層論へ進展する!】で述べたように、「言分け」による「分節」によって生み出された自然言語や自然記号に対し、さらに特定の意図による「網」をかけ、抽象化された言葉や記号を創り出すことです。
こうした言葉や記号の中心にあるのは、次回で述べる「観念言語」ですが、抽象化された言葉や記号を創り出す前に、自然言語や自然記号によって「網」をかけ、対象を比較することでシニフィエ(意味されるもの)を明確化する、という段階があります。ここで使われる言葉が「思考言語」です。
目の前に差し出された未知の果物を、「食べる」か「食べない」という言葉で「網分け」し、どちらを選ぶべきかを「考える」言葉ともいえるでしょう。
それゆえ、「思考言語」は「コト界(言知界)」と「アミ界(理知界)」の境界を行き交う言葉ということにもなります。
具体的な事例で考えてみましょう。
●色鮮やかな対象「赤」を、【赤(進むな)・黄(止まれ)・緑(進める)】という視覚言葉で「網分け」し、「横断禁止」と考える言葉です。 ●どこかから聞こえてくる「泣声」を、【泣く・笑う・唸る】という音声言葉で「網分け」し、「泣声」と考える言葉です。 ●漂ってくる匂いを、【桜・菜の花・蒲公英・菫】などという記号イメージで「網分け」し、「桜が香ってくるな」と考える言葉です。 ●飲料の味を、【甘い・辛い・苦い・酸っぱい・うまい】という味覚言葉で「網分け」し、「甘いジュースだ」と考える言葉です。 ●真冬の「寒さ」を、【寒い・暑い・涼しい】という触覚言葉で「網分け」し、「今朝は一番寒いな」と考える言葉です。 |
以上のように、感覚が「認知」し、意識が「識知」した対象を、共同体で使われている言葉で自覚するのが「自然言語」であり、それらを「網」化したうえで使用するのが「思考言語」です。
従来の言語論でいえば、「思考言語」は「内言」や「I 言語」に当たります。
心理学者のL.S.ヴィゴツキーは、人間の発話を「内言」(音声を伴わない、内面化された思考のための言語)と、「外言」(通常の音声を伴う、伝達の道具としての社会的言語)に分け、「外言」が内省化したものが「内言」と位置づけていますので、「思考言語」は「内言」ということになります。
一方、言語学者のN.チョムスキーは、言葉を「I 言語(internalized
language, I-language)」(脳と心の中に実装された知識体系としての言葉)と、「E言語(externalized
language, E-language)」(I 言語の産出物として外界に表出する言葉)を区別したうえで、「I 言語」が生み出すものが「E言語」だ、と述べていますので、「思考言語」は「I 言語」ということになります。
これらの分類では、頭や心の中で行き交う言葉を、言語能力が生み出した段階の言語(自然言語)と、それらをさまざまに駆使する思考段階の言語(思考言語)を分けていませんので、両者が混在しています。つまり、「自然言語」と「思考言語」が両方とも「内言語」「I言語」ということになり、両者を区別していないのです。
しかし、両者の間には違いがあります。どのように違うのか、当ブログの立場で言えば、「自然言語」は「言分け」が捉えた事象を、音声や記号にともかく置き換えた言葉であり、「思考言語」は自然言語による、何らかの「網」をかけ、使用者の選択性を促す言葉、といえるでしょう。
とすれば、「思考言語」とは、自然言語の網を使いつつ、発声しないまま、さまざまな選択を促す言葉なのです。
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