前回、ユングの唱える「元型」は、井筒の主張する「種子」よって初めて成立するのではないか、と述べてきました。
深層・象徴言語の次元の本質に関わる事項だと思いますので、ユングの提起する、幾つかの「元型」が、どれほど「種子(言語アラヤ識)」に触発されたものであるのか、を確認しておきたいと思います。
まず「元型」の定義にについて・・・
元型という言葉は、すでにユダヤのピロンにおいて、人間の内なる《神の像》との関連で使われている。(中略)アウグスティヌスにおいては《元型》という言葉こそ使われていないが、その代わり同じ観念があって、『さまざまな問いについて』では次のように述べられている。《イデアは……自ら形成されるのではなく……〔はじめから〕神の知の中に含まれている》。『元型』はプラトンの《エイドス》を説明的に言いかえたものである。この名称はわれわれの目的にとって適切かつ有益である。なぜならこの言葉は、集合的無意識には太古的――もっとうまく言えば――原古的な型がある、すなわち太古から存在している普遍的なイメージがある、ということを意味している。 ――C.G. ユング 『元型論』林道義訳:1999 |
そのうえで、「元型」への意味付与、つまりネーミングについて、次のように説明しています。
意味付与は一定の言語の型を使ってなされるが、この型はさらに原始心像から生まれる。意味がどこから来るのかという質問をどこで発しても、われわれは必ず言語やモチーフの歴史へ入りこんで行き、その歴史はつねにまっすぐに未開人の不思議の世界へと通じている。――同上 |
そこで、代表的な「元型」の、言語の型、つまり「種子」的な解説を、ユングの言説から見ていきます。
水の精はわれわれがアニマと呼ぶ妖しい女性的な存在の、より本能的な前段階である。この前段階にするものには、セイレーンたち、海の精たち、森の精たち、フルディンたち、魔王の娘たち、ラミアーたち、夢魔たちがあり、これらは若者を惑わし、その生命を吸いとってしまう。(中略)この種のものはすでにずっと昔からあったのではないのか。それも人間が意識の薄明の中で完全に自然と一体になっていた時代にすら存在していたのではなかったか。森や野原や小川の精たちははじめから、道徳的良心からの問いが発せられるずっと以前から、いたのである。――同上 |
●アニムス(Animus)
アニムスはしばしば画家として現われるか、あるいは映写機をもっている。つまり映写技師であるか、あるいは画廊の持ち主であるが、このことはアニムスが意識と無意識のあいだを媒介する機能をもつことと関係している。すなわち無意識のもつさまざまなイメージはアニムスによって伝達される、つまり空想のイメージの形をとるか、それとも無意識のうちに行為したり生きたりすることによって、目に見える形になるのである。アニムスの投影から。「英雄」または「魔神」に対する愛または憎しみの空想上の関係が生ずる。特別の犠牲者はテノール歌手、芸術家、映画スター、スポーツの大選手などである。――同上 |
●グレート・マザー(Great mother)
母元型の特性は「母性」である。すなわち、まさに女性的なものの不思議な権威、理性とは違う智恵と精神的高さ、慈悲深いもの、保護するもの、支えるもの、成長と豊饒と食物を与えるもの。不思議な変容や再生の場。助けてくれる本能または衝動。秘密の、隠されたもの、暗闇、深淵、死者の世界。呑みこみ、誘惑し、毒を盛るもの、恐れをかきたて、逃れられないもの。――同上 |
●老賢者(Wise old man)
老賢者の姿は夢の中ばかりでなく、瞑想(あるいは「能動的想像」)の幻像の中にも.きわめて具体的な姿をとって現れ、グル〔=ヒンズー教の導師〕の役を引き受ける――インドではときとして実際にも起こることらしいが――ほどである。「老賢者」は夢の中では。魔法使い、医者、牧師、教師、祖父あるいは権威を持った誰かとして現れる。――同上 |
●童子(Kinder)
「童児神」の元型はいたるところに分布しており、神話に現れる他のあらゆる性質の童子モチーフと分かちがたく混じり合っている。〔その例として〕今なお生きている「幼な子イエス」の話を持ち出すまでもないであろう。すなわち聖クリストフアの伝説において、「小より小さく、大より大きい」という例の典型的な性質を示したあの「幼な子イエス」である。民間伝説では童子モチーフは隠れた自然力の化身としての小人や妖精の姿をとって現れる。――同上 |
●魔術師(Wizard )
魔術師は老賢者と同じ意味をもち、これは未開社会の呪術師の姿にまっすぐつながっている。彼はアニマと同様に不死のデーモンであり、これはただ生きているだけという混沌とした暗闇を意味の光で照らし出す。彼は照らす者、教師にして師匠、魂たちの導き手である。――同上 |
●トリックスター(Trickster)
笑い話、カーニバルの馬鹿騒ぎ、救いや魔法の儀式、宗教的な恐れや開悟の中に.このトリックスターの幻はあらゆる時と場所の神話と同じような.ときには紛れもない、ときには定かならぬ姿で、立ち現われる。これは明らかに「心理素」、すなわち最も古い種類の元型的な心理構造である。その最も明瞭な特徴は、いかなる点から見ても未分化な人間意識を忠実に反映している。この意識は動物の水準をほとんど超えていない心のあり方に対応している。――同上 |
以上のように、ユングの「元型」は、すべて言語によって説明されています。
とすれば、「元型」と「言語」の関係は、次のように位置づけられるでしょう。
①下意識に浮かんだ、さまざまなイメージは、人間の脳裏に蓄積された言葉の「種子」、つまり言語アラヤ識によって“意味”づけられ、いくつかのグループに仕分けられる。このグループの名称が、ユングのいう「元型」のネーミングである。 ②「身分け」によって得られる、環境世界のさまざまなイメージと同様に、夢や幻想の中に現れるイメージもまた、「言分け」によって、初めて人間の中に意味づけられる。 ③人間の環境認識は、感覚器官の捉えたイメージやサウンドなどを基盤にしつつ、遺伝的に蓄積された仕分け能力、つまり「言語アラヤ識」の働きによって、初めて成立している。 |
このように考えてくると、言語3階層説における「深層・象徴言語」の意味が、いっそう深く捉えられると思います。