Sustainable志向やSDGs志向を見直してきましたが、ここで当ブログ「生活学マーケティング」の基本視点、つまり「生活民」の立場に戻って、この課題を考えてみたいと思います。
生活民とは何でしょうか。生活者とも、生活人とも、やや異なります。
このブログで展開している生活民とは、【「生活民マーケティング」は「LC-Marketing」だ!】(2017年7月30日)の中で提起している、次のような行動主体を意味しています。
①生活民とは「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求める主体である。・・・【生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】
②生活民とは「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」を重視する主体である。・・・【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】
③生活民とは「真実」よりも、「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】
こうした立場から「Sustainable(持続可能な)」という言葉の意味を考えてみると、次のような疑問が出てきます。
①人類を取り巻く環境を維持しようとする「Sustainable」は、まさしく社会的な「価値」ですが、はたしてそれ自体が純私人にとって「ネウチ」のある「私効」であるのか否か、についてはかなり疑問が残ります。
②SustainableやSDGsという言葉は、国際団体が創り出したキャッチフレーズであり、言語論的な意味での「記号(sign)」そのものです。「感覚(sense)」や「象徴(symbol)」を重視する生活民としては、そのままでは受け入れがたい対象です。
とすれば、生活民自身が今の暮らしをどのように感じているかによって、次のように意識が変わってくるはずです。
①「まずまず満足している」人は、現状を「持続したい」と思うでしょう。
②「大変不満を持っている」人は、現状を「変えたい」と思うでしょう。
③「まあ満足しているが不満もある」人は、現状など「どうなっても同じ」と思うでしょう。
このように、Sustainable というキャッチフレーズに対しては、生活民それぞれの置かれた立場によって、かなり対応が変わってくると思います。
もし生活民次元へ浸透させようとするのであれば、個人レベルでの差延化、差元化、差真化といった生活行動に向けて、よりきめ細かな接近が必要になるでしょう。
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