2020年1月13日月曜日

欲動はブランドを求めない!

生活民の立場からブランドの功罪を眺めています.

2番検証は「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する生活者【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】という視点からです。

生活民の生活願望には、【
縦軸・・・3つの生活願望とは何か:2015年3月5日】で述べたように、大別して「欲望」「欲求」「欲動」の3つの次元があります。

欲望(desire)・・・人間が言葉を持ったがために、必然的に生まれる願望。

生理的、生物学的な必要性がなくとも、「言葉(word)」や「観念(idea)」といった「記号(sign)」の刺激を受けて、私たち一人ひとりの内部に発生するもので、物質への願望を越えて、言語的、文化的な願望となります。

例えば、テレビで紹介された料理が食べたい、流行の服が着たい、友人なみマンションに住みたいなど、物質そのものというよりも、その上にのった文化関係や社会関係、あるいはそれらについての観念や表象を求めるものです。

欲求(want)・・・のどが乾いたから飲み物が欲しい、空腹を覚えたから食べ物が欲しい、寒くなったから衣類が欲しいなど、生理的、生物学的な不足状態を意識がとらえた願望。

英語の〈want〉という言葉がいみじくも示しているように、一人ひとりの身体の中で何かが「欠如」してくるため、それを「必要」とする心理として現れます。


このため、欲求の対象になるのは基本的には物質であり、願望の中身もまた生理的、物質的なものになります。

欲動(drive)・・・意識の下の無意識的な願望であり、生死の区別や善悪の分割など日常的な評価基準をはるかに超えた、動物的、衝動的な願望

フロイトが指摘した「生ヘの欲動」や「死への欲動」なども含まれており、最も自然に近い、あるいは自然そのものとしての快楽を求めていくものです。

「言分け」される以前の願望ですから、夢や幻といった”象徴”的なイメージとなって、しばしば私たちの前に現れてきます。

以上に挙げた3つの願望について、生活民の求める比重は、【
生活民は「デザイン」を超える! :2017年8月20日】で述べたように、「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する、つまり【欲望<欲求<欲動】ということです。

3つの願望の中で、もっともブランドを求めるのは「欲望」です。補足的には「欲求」が求める場合もありますが、その内容はまったく軽いものでしょう。





とすれば、生活民の民度が深まれば深まるほど、ブランドは求められなくなっていきます。いいかえれば、ブランドのネウチは急速に縮小していくのです。

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