「手作り」行動を「手作り1」と「手作り2」に分けて考えてきましたが、私たちが生きている市場社会においては、実際のところどのように行われているのでしょうか。
【「手作り」・・・生活民マーケティングの基本!】(2017年2月21日)において、さまざまな事例をあげて詳述しましたが、「手作り」行動とは、本格的な「私効」実現をめざす生活民が「自分の手で作る」自給自足をめざすものです。
とはいえ、現代の市場社会では、本格的な自給自足などほとんど不可能ですから、実際には2~3割程度の素材や部品を購入し、7~8割の手を加えて「手作り」品を実現させるケースが多いでしょう。
この「7~8割の手を加える」行動についても、「手作り1」と「手作り2」の、2つがあります。
「手作り1」とは、料理や裁縫などのレシピ、電気製品などのマニュアル、ハンドメイド・アイデア・サイトといった、既存の手順に従って、自らの「手作り」行動を実現していく行動です。
他方、「手作り2」とは、さまざまな既存手順を参考にしつつも、さらに自分なりの独創を加えて、まったく新たな「手作り」手順を作り出し、かつ実行していく行動を意味します。
その結果、実際の「手作り」行動では、「手作り1」と「手作り2」が絡み合って、複雑なケースが生まれてきます。食品を事例にとって、実例を考えてみましょう。
①一つの料理の素材となる野菜を自ら栽培する場合にも、一般的な栽培法に従うケース(手作り1)と、全く新たな栽培法を試みるケース(手作り2)があります。
②素材を調達する場合にも、 市場で素材を買うケース(手作り1)と、自ら収穫した素材を使うケース(手作り2)があります。
③素材を調理する場合にも、一般的な調理法に従うケース(手作り1)と、自ら考案した、新たな調理法を試みるケース(手作り2)があります。
④一品に仕上げる場合にも、一般的な一品を作るケース(手作り1)と、自ら考案した、独創的な一品を作るケース(手作り2)があります。
こうしてみると、食べ物の一品を手作りする場合にも、4×4=16通りの「手作り」行動が考えられることになります。
同じような生活行動が、衣類や家具などの「手作り」にも発生しています。
「手作り」という生活行動では、「個効」と「私効」、「ききめ1」と「ききめ2」の実現が複雑に混じり合っているのです。
2019年1月30日水曜日
2019年1月19日土曜日
自給自足行動も差延化の1つ!
生活民も暮らしにおいて、差延化行動はどのように展開されているのでしょうか。
生活民の、モノの使用に関する差延化行動を考えてみる時、【差延化戦略には5つの方法があった!】(2016年12月31日)で取り上げた通り、私仕様、参加、手作り、編集、変換といった、5つの方法が浮かんできます。
これらの方法を生活民という立場から改めて見直してみると、最初に取り上げなければならないのはやはり「手作り」という行動でしょう。
「手作り」とは、本格的な「私効」実現をめざす生活民が、「自分の手で作る」自給自足行動であるからです。
もともと生活民に先行する「生活者」という概念には、提唱者の大熊信行が指摘した通り、生活の基本が「自己生産であることを自覚して」いる人々、という性格が色濃く含まれています(大熊信行の提起した「生活者」とは(2015年2月19日)。
とすれば、「生活者」を継承する「生活民」の生活行動においても、最も基本になるのはやはり「手作り」ということになるでしょう。
生活民とは、自らの生活に必要なモノやサービスを、まずは自給自足によって獲得する、能動的な主体なのです。
その意味では、交換制度が未発達であった旧石器社会や制度や、未熟であった新石器社会の人々こそ、生活民の原型ともいえます。石矢を自作して獲物を捕る行為や、土器を自作して食糧を保管する行為などは、自給自足の典型ではないでしょうか。
生活財の交換制度が極度に発達した現代社会においても、農山村などの住民の中には、自らの食糧の大半を自給自足で獲得しているケースも、稀有とはいえ存在している可能性があります。
自給自足によって自らの暮らしを実現している主体こそ、生活民の典型なのです。
このように書くと、「手作り」という行動は「ヰティリテ(utilite):社会的使用体系」から独立した、独自の生活行動とも思われます。
しかし、彼らの行っている自給自足行動もまた、その手順や知識などの、その全てが独創ということは極めて少なく、基礎的作法や手順などは、彼の属する社会的集団の中に育まれてきた、一定の作法を取り入れている場合が多いでしょう。
そうした意味では、「手作り」行動もまた、「ヰティリゼ1(utiliser 1):個人的使用活動」を基礎にしつつ、その上には独自の応用行動によって、新たな用途を紡ぎだす「ヰティリゼ2(utiliser 2):個人的創造活動」を行っている、ともいえるでしょう。
つまり、「手作り」とは、社会的な「手作り作法(Self-Making)」に従いつつ、そのまま行っている「手作り1(Self-Make-1)」と、それに独創を加えた「手作り2(Self-Make-2)」ということになります。
大和言葉で表現すれば、「手作り」とは、社会的な「ねうち(共効)」をそのまま味わう「ききめ1(個効)」から、それに独創を加えて「ききめ2(私効)」へと進む、ということです。
自給自供自足という生活行動もまた、「差延化」行動の、最も基本的な一つといえるでしょう。
生活民の、モノの使用に関する差延化行動を考えてみる時、【差延化戦略には5つの方法があった!】(2016年12月31日)で取り上げた通り、私仕様、参加、手作り、編集、変換といった、5つの方法が浮かんできます。
これらの方法を生活民という立場から改めて見直してみると、最初に取り上げなければならないのはやはり「手作り」という行動でしょう。
「手作り」とは、本格的な「私効」実現をめざす生活民が、「自分の手で作る」自給自足行動であるからです。
もともと生活民に先行する「生活者」という概念には、提唱者の大熊信行が指摘した通り、生活の基本が「自己生産であることを自覚して」いる人々、という性格が色濃く含まれています(大熊信行の提起した「生活者」とは(2015年2月19日)。
とすれば、「生活者」を継承する「生活民」の生活行動においても、最も基本になるのはやはり「手作り」ということになるでしょう。
生活民とは、自らの生活に必要なモノやサービスを、まずは自給自足によって獲得する、能動的な主体なのです。
その意味では、交換制度が未発達であった旧石器社会や制度や、未熟であった新石器社会の人々こそ、生活民の原型ともいえます。石矢を自作して獲物を捕る行為や、土器を自作して食糧を保管する行為などは、自給自足の典型ではないでしょうか。
生活財の交換制度が極度に発達した現代社会においても、農山村などの住民の中には、自らの食糧の大半を自給自足で獲得しているケースも、稀有とはいえ存在している可能性があります。
自給自足によって自らの暮らしを実現している主体こそ、生活民の典型なのです。
このように書くと、「手作り」という行動は「ヰティリテ(utilite):社会的使用体系」から独立した、独自の生活行動とも思われます。
しかし、彼らの行っている自給自足行動もまた、その手順や知識などの、その全てが独創ということは極めて少なく、基礎的作法や手順などは、彼の属する社会的集団の中に育まれてきた、一定の作法を取り入れている場合が多いでしょう。
そうした意味では、「手作り」行動もまた、「ヰティリゼ1(utiliser 1):個人的使用活動」を基礎にしつつ、その上には独自の応用行動によって、新たな用途を紡ぎだす「ヰティリゼ2(utiliser 2):個人的創造活動」を行っている、ともいえるでしょう。
つまり、「手作り」とは、社会的な「手作り作法(Self-Making)」に従いつつ、そのまま行っている「手作り1(Self-Make-1)」と、それに独創を加えた「手作り2(Self-Make-2)」ということになります。
大和言葉で表現すれば、「手作り」とは、社会的な「ねうち(共効)」をそのまま味わう「ききめ1(個効)」から、それに独創を加えて「ききめ2(私効)」へと進む、ということです。
自給自供自足という生活行動もまた、「差延化」行動の、最も基本的な一つといえるでしょう。
2019年1月10日木曜日
言語活動の「差延」から生活行動の「差延化」へ
生活民の「差延化(différanciation)」行動の前提には、彼一人の生活行動と彼の属する社会集団の生活様式という相互関係があります。
これまで述べてきた言語学の知見によれば、「パロール(parole):個人的言語活動」と「ラング(langue):社会的言語体系」の関係です。
私たち一人一人の、会話やメールといった個人的な言語活動は、社会的に敷衍している日本語、英語、フランス語といった言語体系を前提にして行われ、かつ可能になっています。
その意味では、個人の言語活動は、社会集団の言語装置に依存する、隷属的な行動だ、ともいえないこともありません。
しかし、J.デリダが主張しているように、既存の言葉の意味である「差異(différence)」に対して、結果として差異を生み出す「差延(différance)」という、純私的な“動き”があります。
パロール(parole:話し言葉)で使われる言葉の「意味(sens)」は、社会的装置「ラング(langue)」に依存している比重が高いがゆえに、話し手と聞き手の間で同一性を保たれているケースが多いのですが、エクリチュール(écriture:書き言葉)で使われる言葉になると、書き手の「意味」が読み手によって多様に解釈できる場合が増えてきますから、ラングを超えた情報交換が可能になる、ということです。
そして、話し手や書き手という個人が自ら繰り出した、新しい「意味」が他者に認められて、世の中に広がっていくと、ラング上の「意味」もまた変えてしまうことができます。
つまり、一人の生活民は、一方では「ラング:社会的言語体系」に従って「パロール1:個人的交信活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな意味を紡ぎだす「パロール2:個人的創造活動」もまた行っているのです。
このような、話し手個人の言語創造行為。これこそが「差延(différance)」とよばれるものの実態です。
さらに、この「差延」は生活行動一般に拡大できますので、筆者は新たに「差延化(différanciation)」とよぶことにしています。
これまで述べてきた言語学の知見によれば、「パロール(parole):個人的言語活動」と「ラング(langue):社会的言語体系」の関係です。
私たち一人一人の、会話やメールといった個人的な言語活動は、社会的に敷衍している日本語、英語、フランス語といった言語体系を前提にして行われ、かつ可能になっています。
その意味では、個人の言語活動は、社会集団の言語装置に依存する、隷属的な行動だ、ともいえないこともありません。
しかし、J.デリダが主張しているように、既存の言葉の意味である「差異(différence)」に対して、結果として差異を生み出す「差延(différance)」という、純私的な“動き”があります。
パロール(parole:話し言葉)で使われる言葉の「意味(sens)」は、社会的装置「ラング(langue)」に依存している比重が高いがゆえに、話し手と聞き手の間で同一性を保たれているケースが多いのですが、エクリチュール(écriture:書き言葉)で使われる言葉になると、書き手の「意味」が読み手によって多様に解釈できる場合が増えてきますから、ラングを超えた情報交換が可能になる、ということです。
そして、話し手や書き手という個人が自ら繰り出した、新しい「意味」が他者に認められて、世の中に広がっていくと、ラング上の「意味」もまた変えてしまうことができます。
つまり、一人の生活民は、一方では「ラング:社会的言語体系」に従って「パロール1:個人的交信活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな意味を紡ぎだす「パロール2:個人的創造活動」もまた行っているのです。
このような、話し手個人の言語創造行為。これこそが「差延(différance)」とよばれるものの実態です。
さらに、この「差延」は生活行動一般に拡大できますので、筆者は新たに「差延化(différanciation)」とよぶことにしています。
つまり、一人の生活民は、一方では「ヰティリテ(utilite):社会的使用体系」に従って「ヰティリゼ1(utiliser 1):個人的使用活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな用途を紡ぎだす「ヰティリゼ2(utiliser 2):個人的創造活動」=「差延化」もまた行っている、といえるでしょう。
以上のような意味での「差延化」行動が、実際の生活シーンでどのように行われているのか、さまざまな対応方法を考えていきましょう。
以上のような意味での「差延化」行動が、実際の生活シーンでどのように行われているのか、さまざまな対応方法を考えていきましょう。
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