2019年1月10日木曜日

言語活動の「差延」から生活行動の「差延化」へ

生活民の「差延化(différanciation」行動の前提には、彼一人の生活行動と彼の属する社会集団の生活様式という相互関係があります。

これまで述べてきた言語学の知見によれば、「パロール(parole):個人的言語活動」と「ラング(langue):社会的言語体系」の関係です。

私たち一人一人の、会話やメールといった個人的な言語活動は、社会的に敷衍している日本語、英語、フランス語といった言語体系を前提にして行われ、かつ可能になっています。

その意味では、個人の言語活動は、社会集団の言語装置に依存する、隷属的な行動だ、ともいえないこともありません。

しかし、J.デリダが主張しているように、既存の言葉の意味である「差異(différence)」に対して、結果として差異を生み出す「差延(différance)という、純私的な“動き”があります。

パロール(parole:話し言葉)で使われる言葉の「意味(sens)」は、社会的装置「ラング(langue)」に依存している比重が高いがゆえに、話し手と聞き手の間で同一性を保たれているケースが多いのですが、エクリチュール(écriture:書き言葉)で使われる言葉になると、書き手の「意味」が読み手によって多様に解釈できる場合が増えてきますから、ラングを超えた情報交換が可能になる、ということです。

そして、話し手や書き手という個人が自ら繰り出した、新しい「意味」が他者に認められて、世の中に広がっていくと、ラング上の「意味」もまた変えてしまうことができます

つまり、一人の生活民は、一方では「ラング:社会的言語体系」に従って「パロール1:個人的交信活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな意味を紡ぎだす「パロール2:個人的創造活動」もまた行っているのです。

このような、話し手個人の言語創造行為。これこそが「差延(différance)とよばれるものの実態です。

さらに、この「差延」は生活行動一般に拡大できますので、筆者は新たに「差延化(différanciation」とよぶことにしています。

つまり、一人の生活民は、一方では「ヰティリテ(utilite):社会的使用体系」に従って「ヰティリゼ1(utiliser 1):個人的使用活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな用途を紡ぎだす「ヰティリゼ2(utiliser 2):個人的創造活動」=「差延化」もまた行っている、といえるでしょう。

以上のような意味での「差延化」行動が、実際の生活シーンでどのように行われているのか、さまざまな対応方法を考えていきましょう。

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