これまで述べてきた言語学の知見によれば、「パロール(parole):個人的言語活動」と「ラング(langue):社会的言語体系」の関係です。
私たち一人一人の、会話やメールといった個人的な言語活動は、社会的に敷衍している日本語、英語、フランス語といった言語体系を前提にして行われ、かつ可能になっています。
その意味では、個人の言語活動は、社会集団の言語装置に依存する、隷属的な行動だ、ともいえないこともありません。
しかし、J.デリダが主張しているように、既存の言葉の意味である「差異(différence)」に対して、結果として差異を生み出す「差延(différance)」という、純私的な“動き”があります。
パロール(parole:話し言葉)で使われる言葉の「意味(sens)」は、社会的装置「ラング(langue)」に依存している比重が高いがゆえに、話し手と聞き手の間で同一性を保たれているケースが多いのですが、エクリチュール(écriture:書き言葉)で使われる言葉になると、書き手の「意味」が読み手によって多様に解釈できる場合が増えてきますから、ラングを超えた情報交換が可能になる、ということです。
そして、話し手や書き手という個人が自ら繰り出した、新しい「意味」が他者に認められて、世の中に広がっていくと、ラング上の「意味」もまた変えてしまうことができます。
つまり、一人の生活民は、一方では「ラング:社会的言語体系」に従って「パロール1:個人的交信活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな意味を紡ぎだす「パロール2:個人的創造活動」もまた行っているのです。
このような、話し手個人の言語創造行為。これこそが「差延(différance)」とよばれるものの実態です。
さらに、この「差延」は生活行動一般に拡大できますので、筆者は新たに「差延化(différanciation)」とよぶことにしています。
つまり、一人の生活民は、一方では「ヰティリテ(utilite):社会的使用体系」に従って「ヰティリゼ1(utiliser 1):個人的使用活動」を実現していますが、他方では独自の応用行動によって、新たな用途を紡ぎだす「ヰティリゼ2(utiliser 2):個人的創造活動」=「差延化」もまた行っている、といえるでしょう。
以上のような意味での「差延化」行動が、実際の生活シーンでどのように行われているのか、さまざまな対応方法を考えていきましょう。
以上のような意味での「差延化」行動が、実際の生活シーンでどのように行われているのか、さまざまな対応方法を考えていきましょう。
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