言語3階層説を総括しています。
3つの言語階層のうち、思想・観念言語の構造について、もう一言付言します。
近年、世界のあちこちで、新型コロナやサル痘などパンデミックの拡大に伴い、医学や衛生学などの対応力について、その限界性や信憑性など、さまざまな意見が広がっています。
この背景には、現代社会をリードしている「科学」という「理知」の限界があるようです。その実態を言語論や識知論の立場から考えてみましょう。
医学や衛生学で使われている医療用語や実験用語などの思考・観念言語もまた、「科学」という「理知」に基づいて成立しています。
思考・観念言語は専門家集団という“理”縁共同体で使われていますが、その基盤には当然、日常の世界で使われている日常・交信言語が潜んでいます。
日常・交信言語は、地縁共同体の中で自然発生的、いわば慣習的に発生し、広く共有化されているものです。
例えば、日本国という共同体では日本語、英国という共同体では英語、アラブ諸国という共同体ではアラビア語というように、それぞれの地域社会が基盤になっており、地縁共通語とでもよぶべきものになっています。
こうした地縁共通語を基礎にしつつ、思考・観念言語は、特定の“理”縁共同体の中で意図的に作成されたうえ、さまざまな地縁共通語間での翻訳を経て、特定のシニフィエ(意味)を与えられ、地縁を超えた“理”縁共通語になっています。
具体的に言えば、哲学、倫理学、心理学などから、数学、物理学、天文学、生物学、医学などにおいて、さまざまな地縁共通語を基に観念化された思考・観念言語は、幾つかの翻訳によって、各国の“理”縁共通語に置き換られ、それぞれの“理”縁共同体の内部においてのみ通用する思考・観念言語に変化していきます。それはまさに学問別の分散的な状態ともいえるものです。
とはいえ、現代社会においては、“科学”用語という思考・観念言語が、さまざまな“理”縁共同体において、最も強力な共通基盤を形成しています。
もともと思考・観念言語とは、「網分け」によって創り出された抽象的な言葉や記号群です。それが故に、前回も述べたように一定の限界があります(【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える!】や【思考・観念言語の利点と限界を考える!】を参照)。
この視点は、「科学的」といわれる医学や衛生学についても同様ですから、研究や実験を重ねて網目を次々に細かくし、ソト界やコト界の現象に限りなく接近していく、ということはできると思います。
しかし、そこから漏れ出した現象については、必ずしも的確に把握できるとはいえません。網目の形や大きさなどによって、把握できない現象は幾らでもあるからです。
人類の持っている外部環境把握の能力が、このブログや【JINGEN(人減)ブログ】で述べてきたように、身分け・識分け・言分け・網分けというプロセスを踏んで発達してきた以上、「科学」という「理知」もまた、その一段階と考えるべきではないでしょうか。
とすれば、現代の「科学」の次に来ると思われる、新たな理知は何でしょうか。人類の環境認識の歴史をDynamism、Animism、Mythology、Religion、Scienceという時代識知の流れから考察すれば、次の方向を読み取ることも必ずしも不可能ではないと思います。
現在の「科学」を超える、次世代の理知はどのようなものなるのか、超長期の人口波動説から、考えていきます。
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