言語3階層説を総括しています。
3つの言語階層のうち、日常・交信言語と思想・観念言語の関係について、もう一言付言します。
日常・交信言語は、前回述べたように、「身分け」が認知し、「識分け」が識知した対象を、「言分け」の理知によって言語にしたものです。 一方、思考・観念言語は、「身分け」が認知し、「識分け」が識知し、「言分け」が理知で言語にした対象を、さらに観念によって特定化した言葉です。 両方とも、「身分け」が認知し、「識分け」が識知し、「言分け」が理知した言葉ですが、後者はさらに観念によって特定化された言葉です。 |
「言分け」による言語化には、「言知」による日常・交信言語化と、「理知」による思考・観念言語化の、2段階があります。 「言知」とは大和言葉の「ことしり」であり、「識知」が捉えた対象を音声や記号などで表わすことです。 一方、「理知」は大和言葉の「ことわり」であり、「こと(言)」によって「こと(事)」を分割し、それらを組み合わせて、新たな言葉を作ることを意味しています。 |
とすれば、「言分け」という行為の中には、音声化・記号化という行為に加えて、もう一つ「網分け(あみわけ)」という行為が潜んでいることになります。
「網分け」とは、「言分け」による「分節」で生み出された言葉や記号に対し、さらに特定の意図による「網」をかけて、抽象化された言葉や記号を創り出すことです。 (「分節」と「網」の違いについては、【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える!】や【思考・観念言語の利点と限界を考える!】を参照してください。) |
以上のように、言語3階層説から見ると、私たちの生活構造では「身分け」「識分け」「言分け」という認識行為に加えて、さらに「網分け」という分離行為が行われている、といえるでしょう。
「網分け」によって、日常・交信言語の世界、つまりコト界(言知界)の広義的な言語が推理・整頓され、極めて狭義的かつ正確的な思考・観念言語が生み出されるのです。
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