言語3階層説をさまざまな角度から考えてきました。
いささか抽象的な話に偏りすぎましたので、今回は具体的な「言葉」を素材にして考えてみます。
一例として「波音(なみおと)」という言葉を取り上げてみます。海原や谷川の水面から生まれる、爽やかな音です。
その音を人間は、自らの感覚器官を使って「身分け」し、「dzaɰadzaɰa:ザワザワ」「dza\ːdzaːザーザー」「sa\ɾasaɾa:サラサラ」など、モノ界の音波イメージとして「認知」しています。
これらの音波イメージを、人間はその意識機能を使って「識分け」し、日本人では「ザワザワ」「ザーザー」「サラサラ」など、英国人では「murmur」「swash」「splash」などの音声言語、つまりモノコト界の「深層・象徴言語」として「識知」しています。
続いて人間は、これらの音声言語を、自らの言語能力によって「言分け」し、日本人では「波音」「潮音」「せせらぎ」など、英国人では「creek」「brook」「babble」など、コト界の「日常・交信言語」に置き換えて「理知」し、会話や文通などの交信活動で使用しています。
さらに人間は、これらの交信言語を、「言分け」能力をより高度化した思考・観念能力によって、コト界の「思考・観念言語」に置き換え、文学活動や研究行動などを成り立たせています。
例えば「濤声(とうせい)」「潮騒」などの比喩的表現に置き換えることで文学活動を進めてきました。
「怒りたける相模灘の濤声、万馬の跳るがごとく、海村戸を鎖して燈火一つ漏る家もあらず」(徳富蘆花『不如帰』)や、「半夜、眠れぬままに、遥かの濤声に耳をすましていると、真蒼な潮流と爽やかな貿易風との間で・・・」(中島敦『光と風と夢』)などの表現です。 あるいは短編小説『濤声』(宮本百合子)や長編小説『潮騒』(三島由紀夫)などのタイトルとしても使われています。 |
研究活動でいえば、「音波」「周波数」など、専門的な“理”縁言語に命名することで、観測・研究活動などを推進しています。
「音波」とは、空気や水などの中を伝わる振動波であり、この波が耳に達することで、人間は音を感じます。 厳密な定義によれば、人間や動物の可聴周波数として空中を伝播する「弾性波」であり、人間などの生物が聴覚器官で捉えられると、音として認識されるもの、と言われています。 |
以上のように、「波音」という、一つの言葉を、言語3階層説の視点から眺めて見ると、私たちの言語行動の生成・使用構造が如実に浮かび上がってきます。
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