2020年12月25日金曜日

コンデンシング・ライフへ向かって!

日本列島の人口容量はすでに限界に達したため、人口は10年ほど前から減少しています。

容量が少なくなるにつれて、人口抑制装置が作動し、容量内に収めようとするからです。

人口は一度減少し始めると、容量に十分なゆとりが生まれ、抑制装置が緩和するまで、なお減少しつづけます。

底を打って増加に転ずるのは、早くても50年後の208090年代ではないか、と思います。

とすれば、人口容量を落とすことなく、このままの水準で維持できれば、一人当たりの個人容量は拡大を続けていけるはずです。

2008年を1とすると、2062年には1.5へ、2080年には1.82100年でも1.9に上昇します。

経済が成長・拡大を続けなくても、国家財政を維持できる程度に伸び続け、日本列島の環境容量をサスティナブルな状況に保ってゆくことができければ、個々の生活民の暮らしはそれなりに改善されていく、ということです。

しかし、マクロ経済が拡大し、その分配を受けた個人消費が急伸し、それがまた供給拡大を招いて、経済規模がさらに拡大するという成長・拡大時代の生活様式へ、再び戻るわけではありません

先人たちが数十年にわたって作り上げてきた現代日本の人口容量の水準を、なんとか落とさないまま継続し、再び広げられる時まで維持していくことが求められるのです。

となると、人口減少時代の生活民に、改めて求められる生活様式とは、拡大しない人口容量のもとで、それでも伸びてくる一人当たりのゆとりを、しなやかに活用していくというものでなければなりません。

おそらくそれは、上昇志向、物的拡大、自己顕示といった人口増加時代の様式を超えて、足元志向、心的充実、自己充足などをめざすものとなるでしょう。

一言でいえば、濃密な生活、つまりコンデンシング・ライフ(Condensing Lifeこそ、人口減少時代の生活民に求められる、新たな生活様式なのです。

コンデンシング・ライフとはいかなるものなのか、幾つかの視点から考えていきましょう。

2020年12月18日金曜日

人口容量・・・貨幣指標で計量できるのか?!

人口容量(Population Capacityが飽和したので、人口抑制装置が作動して、人口が減少し始めている、という言説を展開しています。

前回では、現代日本の人口容量は【日本列島の容量+国際化による容量】で、扶養量と許容量の両面から12,800万人だ、と述べてきました。

この数字は人口数という、概念的な指標で表わしていますので、「もっと具体的な数字で表すべきではないか」とのご意見をいただきました。

そこで、経済学的な〈貨幣〉指標による表現はできないものか、あれこれと思案した結果、一つの試論として、次のような手順を考えてみました。



貨幣量としての人口容量は、列島の総供給容量(国内容量+輸入容量)を、居住者の個人容量で除することで計測できる。

総供給容量は、国土を基盤とする政治・経済体制が、何人分の個人容量に応えられるか、を示す指標であり、主として国民総生産(X年の民間最終消費支出+政府最終消費支出)+生活財輸入額から、X年の貨幣量が推計できる。

個人容量は、一人の居住者が生きていくための指標であり、生涯にわたる総生活費用(衣食住などの生活費用+教育・就業・老後などの準備費用)各人を支える社会的費用(国家や地域などサポート費用)の分担分を合算したうえ、平均寿命によって除することで、X年の容量が算出される。総生活費用は主に家計調査により、また社会的費用は国民総生産(政府最終消費支出)の個人分担量として、それぞれ貨幣量が推計できる。

X年の総供給容量を年の個人容量で除した貨幣量が、X年における日本列島の人口容量である。

以上のような手順でもし推計ができれば、個人容量も供給容量もともに貨幣単位で表現され、人口容量もまた貨幣単位で表現されるでしょう。

もっとも、これはあくまでも一つの試案にすぎず、具体的な計算を行うにはなお幾つかの推計手法が必要だと思います。

しかし、この手順で貨幣ベースの人口容量が計算できたとしても、なおも次のような問題が残ります。

  1. 国家の経済規模(国民総生産)が伸びれば、それだけ人口容量も増えて、人口もまた伸びるはずです。だが、国民総生産に比例して個人容量も伸びれば、人口容量は増えず、人口も増えません。景気が上昇してGNPが伸びたとしても、人口はあい変らず減少していく、ということです。
  2. 国家の経済規模(国民総生産)が伸びなくても、個人容量が一定、あるいは低下しておれば、人口容量は拡大し、人口も増えるはずです。景気が悪くてGNPが落ちたとしても、人口は増える可能性がある、ということです。

以上のように、貨幣指標による人口容量推計では、経済動向と人口変動が必ずしも連動しているわけではありません。

ご質問への回答になっていないかもしれませんが、貨幣指標による人口動向分析には、それなりの限界があるのではないでしょうか。

2020年12月10日木曜日

人口容量の中身を考える!

人口抑制装置が作動するのは、生活民の総生涯期待値が「人口容量(Population Capacity」の上限を超える時だ、と述べてきましたが、「人口容量の中身はどうなっているのか? どのように計るのか」とのご質問をいただきましたので、とりあえず中身について考えてみます。

動物の「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity:生存容量)は、先に述べたように、一定空間内の扶養量(食糧・棲息素材などの供給量)と許容量(接触密度、排泄物濃度など限界量)が絡まっており、これに応じて個体当たり容量の内容も決まっています。



人間の「人口容量(Population Capacity」も、主として国土などの扶養量(食糧・衣料・住居など生活資源や、移動・通信・熱源など生活素材の供給量)と許容量(集中・過疎などの人口密度や、生活廃棄物・産業廃棄物・排出ガスなどの処理量)で定まってくるもので、これに応じて個人当たりの容量の内容も決まっています。

もっとも、人間の場合は〔人口容量=自然環境×文明〕という式で、文明の中身が変わるにつれて、人口容量の中身も少しずつ変化してきます。

粗放石器、集約石器、粗放農業、集約農業、近代科学という諸文明が創り出した人口容量ごとに、扶養量と許容量の細部にはそれぞれ変化が見られます。

私たちが生きている、工業現波の人口容量は、自然環境×近代科学文明で作られています。

現代日本に当てはめれば、日本列島という自然環境科学文明の応用によって作り出した扶養量と許容量で構成されているのです。

このうち、扶養量は先に述べたように国内自給量(7,600万人)+海外依存量(5,200万人)=12,800万人で、合計12,800万人となっています。

一方、許容量国内処理量+海外処理量で表現できますが、国内処理量は海岸や河川などの汚染状態をみれば、すでに限界にきているといえるでしょう。また国外処理量も大気汚染、海水汚染を始め、地球温暖化や気候激変などの劣化現象をみると、これまた限界に達していると思われます。

とすれば、12,800万人という人口容量は、扶養量と許容量の両面から、工業現波の上限を示しているといえるでしょう。

一方、この容量を分かち合う、私たち生活民の方もまた、工業文明が創り出した生活様式を前提に、それぞれの暮らしを営んでいます。

食料・衣料・家具などは消費市場で、住宅やマンションは不動産市場でそれぞれ購入し、電気・ガス・水の供給を受け、電車や自動車などで移動し、携帯やパソコンなどで通信し、下水道やゴミ処理サービスなどで廃棄物を始末しています。

今では当たり前となった、この生活様式から生まれてくる、一人当たりの個人容量を全ての国民で集計すると、総個人容量となります。

この総個人容量が、上記の人口容量以下であれば、人口はなお増加していきますが、人口容量に接近したり、超えておれば、自ら人口抑制装置が作動して、人口は減っていきます。

冒頭で述べた、「生活民の総生涯期待値が人口容量(Population Capacityの上限を超える時」という表現は、このように言い換えることができるでしょう。

人口減少の背景を考えるには、「少子・高齢化」を超えて、より広い視野に立つことが必要なのではないでしょうか。