2020年5月16日土曜日

物語と小説はどのように違うのか?

物語は「もの+かたり」である、と考えると、「ものがたり」とは、感覚が捉えた「もの」(身分け次元)を、予め定められた枠組みの「かたり」によって“言語”化(言分け次元)していく行為だ、と述べてきました。

“言語”化には、前回述べたように、言分け次元の表層言語や日常言語に加えて、身分け次元の深層言語が考えられます。

そうなると、「ものがたり」とは、感覚が捉えた深層言語(身分け次元)を、表層・日常言語(言分け次元)の、「予め定められた枠組み」によって文章化していく行為ということになるでしょう。

このような行為は、詩歌や散文などの文芸活動でさまざまに展開されています。

詩歌については、詩人の谷川俊太郎氏が次のように述べています。 


詩の言葉というのは、その表層言語に対していうと, 深層言語, つまり意識下にある言語みたいなものをこう, 出していかなければいけない所があるんですね。・・・まだ意味になっていないんだけれども, それが言語になった時に何かの意味をちゃんと含意できる, というようなもの 詩の言葉というのはそういうように確立された意味を持っていない言葉を, 使わなければならないわけですよ。

身分けが捉えたモノ界の「もの」を“語ろう”とすると、交信言語や表層言語で「かたる」前に、まずは象徴言語によって「かたる」言葉が浮かんでくる、ということです。

その言葉を韻律・字数・句法などの詩歌的制限で文章化するのが詩歌ですが、それとは別の、それぞれの様式という「予め定められた枠組み」によって文章化するのが散文であり、物語・小説・随筆・日記・論文・手紙などに分かれてきます。

このうち、物語小説については、次のような違いがあるようです。

小説と物語の間には明確な区分があるとされてきた。 すなわち、“話の展開に内容から導かれる必然性があるもの”が小説であり、“内容とはかかわりなく偶然のつながりによって話を進めてゆく”のが物語という見方である。 言い換えると小説は「虚構の連続性と因果律のある話の構造」を持たねばならないことが条件とされた。

この区分では、「必然性か偶然性」という「予め定められた枠組み(=かたり)」の差異によって、両者を分けるという立場を示しています。

しかし、この定義では「話」の定義が曖昧なままですから、当ブログでは「事実に類似した虚構を文章化する行為」と定義し、これを「予め定められた枠組み」として、両者の違いを定義し直してみました。

物語・・・主にモノ界に浮かんだ深層言語現象を、事実に類似した虚構として文章化する行為。

小説・・・モノ界、コト界に浮かんだ、さまざまな言語現象を、事実に類似した虚構として文章化する行為。

いいかえれば、物語も小説もともに言語を使って「身分け・言分け」次元を文章化するものですが、表現しようとする対象の比重が、前者では「身分け」次元に、後者では「身分け・言分け」次元にそれぞれ置かれている、ということです。


以上が、「物語」の意味を、「もの+かたり」という言葉の由来から、改めて見直した、一つの結論です。

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