●この論文ではUtilityの意義を「財物が人間の欲望を満足させうる力」と定めておいて、然る後にこれが訳語の富否を検することとしたい。
●Utilityの訳語として従来用いられたものは数種あるが、今日最も勢力のある学者問で用いられ、かつ問題となっているのは、「利用」と「効用(原文では效用)」との二つであると思うから、今回はこの二つについて研究するに留める。よって、まず「利用」の語を吟味し、次に「効用」に及ぶことにする。
●(『尚書』『左伝』『荘子』『漢書』などでの古人の用法)を要約すれば、文字の本来の意味より見て、「利用」とは「人(または他の人格者)が事物の用を利する」という意味であり、「事物が人の用を利する」という意味ではない。従ってUtilityを以て「財物が人の欲望を満足せしむる力』と解する以上、これを「利用」と訳するのは妥当でない(以下・略)。
●Utilityの訳語として「利用」よりも更に勢力を有する「効用」という文字が果して妥当なるか否か(中略)。「効用」の出典については、余の浅學なるか、末だこれを経傅の中に見出すことができない。余の知れる範囲において、その最も古きものは『後漢書』の事例(中略)であり、この場合の「効用」は「人が国家のために用を効する」を意味している。
●「効用」の(中略)「何のために用を効するか」という目的物は、あるいは國家であり、社会であり、あるいは君主、あるいは政府と、場合によって異なることあるが、その用を効する意味においてはどれも同じである。(中略)別の意味に使用せられていることを、かつて見たことがない。
●「効用」の「効」はもとより「致す」の意味であって、「効用也」とか「効猶致也」とかいう訓詁は『左伝』『国策』『史記』『漢書』など多く散見しておるところである。されば「効用」という代わりに、「致用」といってもまた同義であって、かかる用法も随分多い。
●「致用」もやはり、「効用」と同じく、「人が国家若くは社会のためその能力を尽くす」ことをいったものである。
●しかし、『荀子』(中略)の注には「物皆豊其美、而来為人用也」とあり、ここでは「物が人に役立つ」ことをいうものである。
●即ち、この「致用」の意味こそUtility の意味によく適応するものということができよう。
●なお「効用」の用例については、未だ『荀子』中の「致用」の如きものを見出さざるは甚だ遺憾であるが、併し前に君国の為めに力を尽くす意味においては、「効用」と「致用」が全く同様に用いられることを明らかにし得たのであるから、物が人の用に役立つ能力を指す場合に於いても、かつて用例なき「効用」を、かつて用例ある「致用」と同様の意味に用いて行くということは、己むを得ざる場合の造語としては、甚だしき不条理ともいえない。
●よって、「効用」という訳語も文字本来の意義より見て決してUtilityの意味に全然適応したものということは出来ないのであって、新たに訳語を選定する場合であつたならば、今少し訪求の余地なきかと思うのであるが、之を「利用」という訳語と比較して文字の意義上その優劣を定めんとならば、それは「効用」の「利用」に優ること数等であると思う。
●何となれば両者ともに現在訳語として使用している意味においては、正確なる出処を欠くことは同一であるも、造語の上より考へて、「利用」は他に紛らわしき意味あり、かつ之を訳語とするについて相当の根拠を欠くのに反し.「効用」は他に紛らわしきおそれなく.かつUtilityの訳語とするについて相当の根拠を有するがためである。
●「利用」と「効用」以外において、如何なる文字が果してUtilityの訳語として最適当なるものなるかということを、今少しく述べてみたいが、従来〈用い慣れたる〉「効用」が字義の上より見ても、甚だしき不都合なき以上、実際上には最早必要なき穿鑿であり、かつこの上無味乾燥なる引用語を羅列することも如何と思うが故に、今は暫く省略する(後略)。
●Utilityの訳語として従来用いられたものは数種あるが、今日最も勢力のある学者問で用いられ、かつ問題となっているのは、「利用」と「効用(原文では效用)」との二つであると思うから、今回はこの二つについて研究するに留める。よって、まず「利用」の語を吟味し、次に「効用」に及ぶことにする。
●(『尚書』『左伝』『荘子』『漢書』などでの古人の用法)を要約すれば、文字の本来の意味より見て、「利用」とは「人(または他の人格者)が事物の用を利する」という意味であり、「事物が人の用を利する」という意味ではない。従ってUtilityを以て「財物が人の欲望を満足せしむる力』と解する以上、これを「利用」と訳するのは妥当でない(以下・略)。
●Utilityの訳語として「利用」よりも更に勢力を有する「効用」という文字が果して妥当なるか否か(中略)。「効用」の出典については、余の浅學なるか、末だこれを経傅の中に見出すことができない。余の知れる範囲において、その最も古きものは『後漢書』の事例(中略)であり、この場合の「効用」は「人が国家のために用を効する」を意味している。
●「効用」の(中略)「何のために用を効するか」という目的物は、あるいは國家であり、社会であり、あるいは君主、あるいは政府と、場合によって異なることあるが、その用を効する意味においてはどれも同じである。(中略)別の意味に使用せられていることを、かつて見たことがない。
●「効用」の「効」はもとより「致す」の意味であって、「効用也」とか「効猶致也」とかいう訓詁は『左伝』『国策』『史記』『漢書』など多く散見しておるところである。されば「効用」という代わりに、「致用」といってもまた同義であって、かかる用法も随分多い。
●「致用」もやはり、「効用」と同じく、「人が国家若くは社会のためその能力を尽くす」ことをいったものである。
●しかし、『荀子』(中略)の注には「物皆豊其美、而来為人用也」とあり、ここでは「物が人に役立つ」ことをいうものである。
●即ち、この「致用」の意味こそUtility の意味によく適応するものということができよう。
●なお「効用」の用例については、未だ『荀子』中の「致用」の如きものを見出さざるは甚だ遺憾であるが、併し前に君国の為めに力を尽くす意味においては、「効用」と「致用」が全く同様に用いられることを明らかにし得たのであるから、物が人の用に役立つ能力を指す場合に於いても、かつて用例なき「効用」を、かつて用例ある「致用」と同様の意味に用いて行くということは、己むを得ざる場合の造語としては、甚だしき不条理ともいえない。
●よって、「効用」という訳語も文字本来の意義より見て決してUtilityの意味に全然適応したものということは出来ないのであって、新たに訳語を選定する場合であつたならば、今少し訪求の余地なきかと思うのであるが、之を「利用」という訳語と比較して文字の意義上その優劣を定めんとならば、それは「効用」の「利用」に優ること数等であると思う。
●何となれば両者ともに現在訳語として使用している意味においては、正確なる出処を欠くことは同一であるも、造語の上より考へて、「利用」は他に紛らわしき意味あり、かつ之を訳語とするについて相当の根拠を欠くのに反し.「効用」は他に紛らわしきおそれなく.かつUtilityの訳語とするについて相当の根拠を有するがためである。
●「利用」と「効用」以外において、如何なる文字が果してUtilityの訳語として最適当なるものなるかということを、今少しく述べてみたいが、従来〈用い慣れたる〉「効用」が字義の上より見ても、甚だしき不都合なき以上、実際上には最早必要なき穿鑿であり、かつこの上無味乾燥なる引用語を羅列することも如何と思うが故に、今は暫く省略する(後略)。
以上を整理してみますと、次のようにまとめられます。
➀Utilityの意義を「財物が人間の欲望を満足させうる力」と理解する。
②「利用」という言葉は、中国の古典では「人(または他の人格者)が事物の用を利する」という意味であり、「事物が人の用を利する」という意味ではないから、Utilityを「利用」と訳すのは妥当でない。
③「効用」という言葉は、中国古典ではほとんど使用されておらず、使用されている場合でも「人が国家、社会、君主、政府などのために用を効する」を意味している。
④「効用」の「効」は「致す」の意味であるから、「効用」の代わりに「致用」ということもできるが、その意味もまた「人が国家や社会のためその能力を尽くす」ことである。
⑤しかし、『荀子』では「致用」が「物が人に役立つ」ことも意味しているから、これこそUtility の意味によく適応している。
⑥「効用」と「致用」が同様に用いられるケースがある以上、物が人の用に役立つ能力をさす場合、かつて用例なき「効用」を、かつて用例ある「致用」と同様の意味に用いることはやむをえない。
⑦「利用」という訳語が他に紛らわしい意味があるのに対し、「効用」の方は紛らわしき使用のおそれがない点で優れている。
⑧「効用」という言葉がすでに用い慣らされており、字義の上でも甚だしき不都合がない以上、これ以外の訳語を探すのは無意味である。
小島先生としては、本来なら「致用」の方が望ましかったのですが、すでに使用が広がっている以上、「効用」という訳語でやむをえなない、ということでしょう。
要するに、「効用」という言葉もまた、「価値」と同じく、大和言葉の中からではなく、大陸の漢字文化の中からは探し出されたものだ、といえるでしょう。
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