1970~80年代には、「差別化」と「差異化」がマーケティングの2大戦略として、さまざまな生活財関連企業に採用されてきました。
しかし、一部の学者や経営者からは、2つの区別を無視する意見が出されています。商品やサービスの違いを示すのだから、「差別化のうちカラーやデザインの差を訴求するのが差異化」とか、「差異化も差別化の一つの手法にすぎない」などというものです。
けれども、こうした見方はモノ界とコト界の違いや人間のさまざまな能力をまったく理解していない、まことに浅薄な主張です。「差別化」戦略と「差異化」戦略には、単なる言葉の差を超えて、内容面で根本的な違いがあるからです。
なぜなら、1970年代に、フランスの社会学者J.ボードリヤールが「消費されるためには、モノは記号にならなければならない」(『物の体系』:Le Système des objets,1968)と主張したことによって、私たちの〝消費〟観は根本的に覆りました。
ヒトは他の動物とは異なり、本能や身体が要求するものを求めるだけでなく、言葉が要求するものも求める、ということに気づいたからです。
のどが渇いた時、水道の水を求めるだけでなく、カラフルな軽飲料やCMで見たドリンクを求めます。寒さを感じた時、木綿の下着を増やすだけでなく、鮮やかなカラーのセーターを着たり、流行のデザインのオーバーコートを求めます。
本能や身体が要求するものを求める願望が「欲求」であり、言葉が要求するものも求める願望が「欲望」です。
欲求も欲望もともにコト界の生活願望ですが、前者は感覚という身体性、つまり身体の求めるものを言語によって意識化したものであり、後者は言葉が作り出した幻想そのものを追いかけるものです。
極言すれば、欲望とは「身体がまったく求めないものも、あえて求める願望」といってもいいでしょう。
どちらの願望に応えるかによって、マーケティングの基本的なスタンスが大きく変わってきます。前者の欲求に対するマーケティング戦略が「差別化」であり、後者の欲望に対するそれが「差異化」なのです。
差別化は、生活界の中心の日常界で発生する、身体の求めるものを言語化した「欲求」を対象にして、さまざまな〝機能〟を投げかける戦略です。
これに対し、「差異化」は、記号界から生まれてくる願望、つまり身体よりも言語を重視する「欲望」に向けて、さまざまな〝記号〟を投げかける戦略ということになります。
差別化と差異化という、2つのマーケティング戦略の間には、これほど大きな違いがあるのです。これを無視するのは、鈍感以外のなにものでもありません。
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