生活球に基づく生活願望論は、これまでのマーケティング分野でしばしば応用されてきた、A.マズローの「欲求段階説」とは、根源的な次元で異なるものです。
アメリカの心理学者A.マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908~1970年)は、1940~50年代に、人間性心理学の創始者として「欲求段階説」を発表し、私たちの欲求は、生理→安全→愛情と所属→尊敬→自己実現と段階的に進むものだ、と主張しました。
彼の理論によると、人間の欲求は階層をなしており、下位の欲求が満たされると、次々に上位の欲求へ移行していくそうです。つまり、生理的なものから安全、所属、愛、尊敬など社会的なものへと次第に移行し、最終的には自己実現(Self-actualization)へと向かっていきます。
具体例をあげれば、当面の食べ物や衣類に満足すると、身を守ることに注意が向き、それも満たされると、良い大学や良い会社に入りたくなり、いい夫や妻を探しはじめ、さらに地位や名声が欲しくなる。全てに満足すると、最後には生き甲斐や生きる証へと向かっていく、ということでしょう。
この理論は、組織や労働の動機分析から消費者の心理分析まで多方面に応用されており、とりわけマーケティング分野では基本的な定理にように扱われています。
しかし、哲学者や心理学者などからは、すでにいくつかの疑問が提示されています。
例えば、①欲求の発展は環境の差異に依存することが多いから、誰もが一律にこの順序を辿るとはいえない、②人類の普遍的なモデルというが、個人主義に価値をおく西洋的人間観をモデル化したものにすぎない、③自己実現に到達するには、4つの前提段階を踏まなければならないというが、それぞれの段階において自己実現への移行も考えられる、といったものです。
要するに、「衣食足りて礼節を知る」や「恒産なくして恒心なし」の立場をとるのか、「人はパンのみにて生くる者に非ず」や「武士は食わねど高楊枝」の視点に立つのか、どちらに重点をおくべきかという議論ともいえます。
そこで、これらとはやや別の次元から、筆者もまたこの理論に異論を挟んでみたいと思います。
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