①日欲(日常願望)・・・感覚・言語軸、個人・社会軸、真摯・虚構軸の3つの軸が交差する日常界で、上下には記号と感覚、意識と無意識、欲望と欲動の間で、左右には外交(社会との交流)と内交(自己との交流)、社会と個人、同調と愛着の間で、前後には真実と虚構、儀礼と遊戯、緊張と弛緩の間で、絶えず揺らめきつつ、営まれている日常生活の中から生まれてくる願望。毎日の暮らしを実現していく、最も基本的な動機となっており、現実的、具体的な性格を帯びています。現代思想では、その代表的な願望として「欲求」をあげています。
②欲望(記号願望)・・・記号界から生まれる願望であり、言語、記号、意識、理性、観念、物語などを求めるもの。感覚のとらえた世界を言語化(コトアゲ)によって、観念に変えていこうとするもので、「言語、イメージ、ジェスチュアなどの表現活動はすべて〝記号〟活動である」というソシュールの思想に基づけば、記号願望とよぶこともできます。この種の願望を、現代思想では「欲動」や「欲求」と区別して、あえて「欲望」とよんでいます。
③欲動(感覚願望)・・・感覚界から生まれる願望であり、感覚、無意識、欲動、感度、体感、象徴、神話などを求めるもの。言葉によってコト界を作ろうとするヒトの本性をあえて崩すことにより、言葉以前の世界を求めていくものです。その意味では、原始志向や動物志向ということもできますが、本来の原始人や動物への回帰志向というよりも、言葉の重みに疲れて、一旦「身分け」次元へ回帰しようとするものです。この種の願望を、分析心理学などでは「欲望」や「欲求」と区別して、「欲動」と名づけています。
④世欲(外交願望)・・・社会界から生まれる願望であり、外交、社会、価値、同調などを求めるもの。環境世界を音節イメージによって区分けし、単語と文法によって全体的な構造を作り出しているラングという共同装置に対し、積極的に受け入れたり、あるいは能動的に働きかけようとするものです。社会的な風潮や経済的な価値へ、自らも同調しようとする願望ともいえます。社会で使われている言葉は、民族や国家という共同体が歴史的に環境世界をコトアゲしてきた結果であり、いわば「ソトワケ」ともいうべきものです。またそこで使われている言葉は、共同体(オオヤケ)の言葉であるから、「オオヤケゴト」ということができます。
⑤私欲(内交願望)・・・個人界から生まれる願望であり、内交、個人、効能、愛着などを求めるもの。私たちは、ラングという共同装置を利用して、他人との会話を行なうだけでなく、日記やメモ、あるいは内省や思考などによって自分自身との対話を求めています。この願望が内交願望であり、社会的なネウチである「価値」よりも純個人的なネウチである「私効」(私的効用)を求めたり、社会的な風潮に同調するよりも、自分自身の好みへと愛着を増していきます。歴史的、社会的なラングを自分自身で加工したり、新たに創造することですから、「ソトワケからウチワケへ」ともいえますし、その結果として生まれてくる言葉もまた「オオヤケゴト」から「ワタクシゴト」へ変わってきます。
⑥真欲(真実願望)・・・真実界から生まれる願望であり、真実、儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などを求めるもの。虚実をともに示す言葉の機能のうち、個々の言葉の意味とその対象の厳密な一致をめざそうとする願望であり、言葉の示すものを目標にして、自らの行動を厳しく律していこうとします。社会的行動では儀式や儀礼、私的な生活行動では勤勉や学習、経済的行動では節約や貯蓄などがこれに該当します。言葉を真実にするものですから、「マコト」を求める願望ということもできます。
⑦虚欲(虚構願望)・・・虚構界から生まれる願望であり、虚構、遊戯、弛緩、怠惰、遊興、放蕩、浪費、蕩尽などを求めるもの。個々の言葉の意味とその対象の関係を積極的にずらしていこうとする願望であり、言葉の示す目標を意識的に緩めて、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わおうとします。社会的行動では遊戯や遊興、個人的な生活行動では弛緩や怠惰、経済的行動では浪費や蕩尽などが、これに該当します。言葉を虚ろにするものですから、「ソラゴト」あるいは「ザレゴト」を求める願望ということもできます。
7つの願望の中味を考えてみると、私たちが何を求め、何を供給してもらいたいのか、その根源が見えてきます。
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