思考・観念言語における文字言語の位置を考えています。
文字言語とは、【思考・観念言語は地縁共同体から“理”縁共同体へ!】で述べたように、日常・交信言語を抽象化して創り出された思考語を、特定の“理”縁言語共同体向けに文字の形で表現した学術文字や専門文字です。
事例として、前回の「数字」に続き、今回は「漢字」について考えてみましょう。
漢字は表意文字(意味を表す文字)の一つで、古代中国において中国語を表記するために作られましたが、時代が下るとともに、東アジアの諸国に伝わり、楷書、行書、草書などさまざまな文字を派生させました。4世紀~5世紀頃、日本にも伝わって、カタカナ、ひらがなの元となったうえ、1946年(昭和21)に当用漢字として公布されています。
私たち日本人はこの漢字を使って、さまざまな思考行動をしています。
例えば、筆者のブログで展開している「識知」という漢字もまた、日常・交信言語では通常は使われてはおらず、その意味では典型的な思考・観念文字です。
「識」という文字は、日本語の常用漢字として「知る」「わかる」などを意味し、観念用語としては、仏教の基本的概念の一つ、「vijñāna」の訳語として「対象を識別・認識するもの」を意味しています。 それゆえ、「識」という漢字は、他の漢字と結びついて、「意識」「無意識」「認識」「常識」「知識」「良識」などの熟語に広がっています。 もし英語で表現すれば、consciousnessという言葉は、他の意味と結びついて、conscience、unconscious、recognition、common sense、knowledge、good senseなどの熟語に広がっている、といえるでしょう。 フランス語で表現すれば、savoirという言葉は、他の意味と結びついて、conscience、inconscience、identification、bon sens、connaissance、Bonne foiなどの言葉に広がっているのです。 |
もう一方の「知」はどうでしょうか。
「知」という文字は、知識や知能といった知的活動の総称を意味し、道教の始祖、荘子の「不知の知」思想を連想させますが、これまた他の漢字と結びついて、「理知」「認知」「無知」などとして使われています。 英語でいえば、knowledgやwisdomという言葉は、他と意味と結びついて、intellect、cognition、ignoranceなどの熟語に広がっている、といえるでしょう。 フランス語で表現すれば、connaissanceという言葉は、他の意味と結びついて、conscience、perception、ignoranceなどの言葉に広がっているのです。 |
両方を合わせた熟語「識知」もまた、英語では「wisdom」に相当するようですが、意味するところではフランス語の「savoir」や「sagesse」に近いとも思われます。
このように「識知」と関連する熟語を、英語やフランス語と比べてみると、日本人にとってのニュアンスと外国語の表現とは、必ずしも一致しているとはいえません。
ところが、私たち日本人が「識知」という漢字でものを考える時には、欧米語の語彙を連想する前に、まずは以上にあげたような漢字の連関を思い浮かべるはずです。
とすれば、私たちは、日本の当用漢字という、地縁共同体の共有する、一つの漢字(シニフィアン)が示す意味(シニフィエ)、それをベースにしつつ、関連する漢字をさまざまに連想し、その文字の意味をいっそう深く理解しているのだ、ともいえるでしょう。
このように考えると、思考・観念言語における漢字とは、専門分野という“理”縁共同体での使用を前提にする以前に、ひとまずは地縁共同体の中で養われた文字連関を前提に、改めて構築された言語、ということになるでしょう。
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