「消費社会」をよりマクロな社会・経済構造の中に位置づけてみると、主導的定義と対象的定義の2つの視点によって、そのポジションが変わってきます。
主導的定義では、横軸を基準にして社会をリードする主体の変化をとらえますから、図1に示したように、まずは「生産(主導)社会」が社会制度と共生生活の上に成立した、といえるでしょう。
だが、時代の流れとともに変化して、図2に描いた如く、共生生活の上に「消費(主導)社会」が被さってきたのです。
他方、対象的定義では、縦軸を基準にして社会構造の違いを分けていますから、近代の産業社会も当初は中段、欲求次元の「機能社会」として広がりました。
その後、供給過剰の進行に伴って「物の有用性」よりも「物にまつわる記号」の消費が拡大したため、図表3の一番上、欲望次元の「記号社会」へと移行しました。
両方の定義を重ね合わせてみると、消費社会とは、横軸上では共生生活の上に比重をおく「消費(主導)社会」であり、また縦軸上では欲望次元の「記号社会」に相当します。
とすれば、主導としての消費(主導)社会と、対象としての記号社会が互いにクロスした領域、つまり図表4に示した「純消費社会」こそが、最も濃密な消費社会といえるでしょう。
消費社会がこのような特性を持っている以上、この社会に潜む、さまざまな問題点を乗り越えて、ポスト消費社会へと進むためには、幾つかの条件をクリアしていかなければなりません。
暮らしは生産と生活を含むものですが、サラリーマンはどういう視点がいるのでしょうか?
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