A.スミスの「価値=あたひ」論は、どのような形でK.マルクスへ引き継がれていったのでしょうか。
A.スミスは、商品の有用性を「使用価値(value in use)」と「交換価値(value in exchange)」に分け、そのうえで、「労働はいっさいの商品の交換価値の実質的尺度である」という「労働価値説(labor theory of value)」を提唱しました(『富国論』1776)。
この「労働価値説」は、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという学説ですが、もともとは17世紀にW.ペティによって主張されたものでした。
W.ペティは『租税貢納論』(A Treatise of Taxes & Contributions, 1662)の中で、商品の「自然価格」はそれに費やされる労働によって決まるという視点を初めて提起しました。
この説を継承して、A.スミスは「労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった。世界のすべての富が最初に購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである」(『富国論』)と述べ、労働価値説を確立したのです。
しかし、スミスのこの見解には、2つの観点が混在していました。
一つは「あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りである」と表現されているように、商品の生産に投下された労働によって価値が決まる、という主張(投下労働価値説)です。
もう一つは、商品の価値は「その商品で彼が購買または支配できる他人の労働の量に等しい」という主張(支配労働価値説)です。
2つの労働価値説は40年後、D.リカードに引き継がれましたが、その著『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation、1817)において、「投下労働価値説」は肯定され、「支配労働価値説」は否定されています。
リカードは「商品の生産に必要な労働量と商品と交換される労働量は等しくない。例えば、ある労働者が同じ時間に以前の2倍の量を生産できるようになったとしても、賃銀は以前の2倍にはならない」と述べて、支配労働価値説は正しくない、と述べています。
これに代えてリカードは、資本の蓄積が始まってからも、道具や機械に間接的に投下された労働量と直接に投下された労働量の合計によって商品の価値が決まる、という見解を示しています。
リカードの投下労働価値説は半世紀後に、K.マルクスに引き継がれ、「価値=交換価値」説となっていきます。
こうして経済学の本流では、「価値=あたひ」論が主流となり、「値=直=ねうち」論の方は後回しにされました。
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