2018年4月30日月曜日

W.S.ジェヴォンズの“価値”観

マルクスは「価値」を「使用価値=ねうち」と「交換価値=あたひ」に分けたうえで、後者の方に比重をかけていきました。

これに対し、1870年代に欧州各地で台頭した「主観価値説(効用価値説)」では前者、つまり「使用価値=ねうち」の方に力点をおいた理論を展開していきます。

「主観価値説」とは、W.S.ジェヴォンズ、C.メンガー、L.ワルラスがそれぞれ独自に創始した理論ですが、商品の価値はもっぱら消費者の主観的な評価である「効用(utility)に基づく、というものです。彼らの主張はどんなものだったのか、順番に見ていきましょう。

最初はイギリスの経済学者W.S.ジェヴォンズ(William Stanley Jevons)。その著『経済学の理論』(The Theory of Political Economy、1871)の中で、次のように述べています(要旨)。



➀商品は「効用」という性能を持つ。

「財なるものには、人の物質的生活に関係ある種々なる欲望を満足せしむるを得る性能(がある。中略)。換言すれば、財には人の欲望を満たすに足るだけの有用性ありて、然もそが人々に依りて認めらるるが為である。財の此の性能を『効用』といふ」(小田勇二訳、1922)

② 「効用」視点から見ると、「価値」という言葉には3つの意味がある。

  ⑴使用価値=全部効用(value in use = total utility)
  ⑵評価=最終効用度(esteem =final degree of utility=限界効用)
  ⑶購買力=交換比率(purchasing power = ratio of exchange)

③ 「価値」は「効用」に依存するのであって、「労働」に起因するものではない。

「価値はまったく効用に依存する(中略)。いまひろくおこなわれているかんがえは、効用よりはむしろ労働を価値の起源とするものであって、なかにははっきりと労働は価値の原因であると主張するものさえあるのである。これに反してわたしは、満足な交換の理論に到達するため、われわれがもっている財貨の量に依存するものとしての効用変動の自然法則を注意ぶかく追求すればそれでいい(後略)。」

「労働はしばしば価値を決定するものとみられるが、しかしそれはただ間接的なしかたによってのみ、すなわち供給の増加または制限を通じて財貨の効用度を変動させることによってのみそうなのである。」(岩松繁俊訳、1958)

以上のように、ジェヴォンズは「人間の要求から生じる物の状況」を「効用(utility)と名づけたうえで、従来の「使用価値」を「全部効用」、交換価値を「購買力」、そして両者の間で動く有用性の変化を「最終効用度」と、3つに分けています。

彼はこの立場から、スミス、リカード、マルクスなどの“価値”観を厳しく批判しています。

まさしく「使用価値=ねうち」論からの逆襲といえるでしょう。

2018年4月20日金曜日

マルキシズムの”価値”観

生誕200年でK.マルクスに注目が集まっています。

マルクスは商品の“価値”をどのように考えていたのでしょうか。

リカードの「投下労働価値」説を引き継いだマルクスは、その著『資本論』(Critique of Political Economy,1867~1894)で、次のように述べています(要旨)。



➀商品の価値には「使用価値(use-value)と「交換価値(exchange-value)がある。

②「使用価値」とは「人間の欲望をみたすもの」あるいは「人間が、その活動によって自然素材の形を人間に有用なように変える」ものである。

③使用価値は、あくまで潜在的なものであって、本物の「価値」ではなく、いわば「価値」の“素材”であり、それが他の物との交換可能性を生じて「交換価値」となった時、初めて本物の「価値」になる。

④空気、処女地、自然の草地や樹木などの自然物、あるいは自家消費用の生産物など明らかに「使用価値」を持つが、交換の対象とならない限り、本物の「価値」を持つことはない。

⑤それゆえ、「商品の交換こそが、商品を互いに価値として関係させ、価値として実現するのである」から、「商品は使用価値として実現される以前に、価値として実現されなければならない」のである。

⑥「価値を作り出す実体は、その物に込められた労働の量である」から、商品の交換価値は労働力によって決まる

⑦賃銀と交換されるのは労働ではなく労働力であり、労働力の価値の補填分を越えて労働が生み出す価値が「剰余価値(surplus-value)である。

以上のように、マルクスは「使用価値×交換価値」論の延長線上に、労働価値説に基づく「剰余価値」をおいて、これこそ「価値」の本質だ、と主張しています。

当ブログの立場でいえば、「ねうち=有用性=使用価値」と「あたひ=均等性=相当性=交換価値」を分けたうえで、「相当性=あたひ」の方に比重をかけ、あたひ」の本質を考察した、といもいえるでしょう。

「ねうち=有用性=使用価値」の方は「商品学に任せるなどとまで述べていますが、新たな経済学は間もなくその周辺から始まってきます。

2018年4月11日水曜日

A.スミスからD.リカードへ:価値=あたひ論は進展した!

A.スミスの「価値=あたひ」論は、どのような形でK.マルクスへ引き継がれていったのでしょうか。

A.スミスは、商品の有用性を「使用価値(value in use)と「交換価値(value in exchangeに分け、そのうえで、「労働はいっさいの商品の交換価値の実質的尺度である」という「労働価値説(labor theory of value)を提唱しました(『富国論』1776)。

この「労働価値説」は、人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという学説ですが、もともとは17世紀にW.ペティによって主張されたものでした。





W.ペティは『租税貢納論』(A Treatise of Taxes & Contributions, 1662)の中で、商品の「自然価格」はそれに費やされる労働によって決まという視点を初めて提起しました。

この説を継承して、A.スミスは「労働こそは、すべての物にたいして支払われた最初の代価、本来の購買代金であった。世界のすべての富が最初に購買されたのは、金や銀によってではなく、労働によってである」(『富国論』)と述べ、労働価値説を確立したのです。

しかし、スミスのこの見解には、2つの観点が混在していました。

一つは「あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りである」と表現されているように、商品の生産に投下された労働によって価値が決まる、という主張(投下労働価値説)です。

もう一つは、商品の価値は「その商品で彼が購買または支配できる他人の労働の量に等しい」という主張(支配労働価値説)です。

2つの労働価値説は40年後、D.リカードに引き継がれましたが、その著『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation、1817)において投下労働価値説」は肯され、支配労働価値説」は否定されています。

リカードは「商品の生産に必要な労働量と商品と交換される労働量は等しくない。例えば、ある労働者が同じ時間に以前の2倍の量を生産できるようになったとしても、賃銀は以前の2倍にはならない」と述べて、支配労働価値説は正しくない、と述べています。

これに代えてリカードは、資本の蓄積が始まってからも、道具や機械に間接的に投下された労働量と直接に投下された労働量の合計によって商品の価値が決まる、という見解を示しています。

リカードの投下労働価値説は半世紀後に、K.マルクスに引き継がれ価値=交換価値」説となっていきます。

こうして経済学の本流では、「価値=あたひ」論が主流となり値=直=ねうち」論の方は後回しにされました