2016年7月29日金曜日

物語戦略と神話戦略・・・違いを整理する

最近のマーケティング戦略論では、物語戦略と神話戦略が混同され、それぞれの功罪を無視した議論が流行しています。

しかし、物語戦略は「差異化戦略」神話戦略は「差元化戦略」として、それぞれ明確に分けて議論すべきもので、むしろ対立的に考察すべき対象ではないでしょうか。

そこで、物語と神話はどのように違うのか、辞書類を調べてみると、さまざまな見解が述べられています。

それらを整理して、対比的に並べてみると、次のようにまとめることができます。

物語(Story)とは、一人の人間が言語を駆使して結びつけた意味の流れを、他人に向かって語りかけたうえ、集団的な虚構物として認めさせる文章群で、読物、小説、散文、講談、台本などの形をとります。

神話(Mythology)とは、民族や種族などの人間集団の心の底に潜んでいる、集団無意識的な世界像を、さまざまな象徴(C.G.ユングのいう元型:archetype)に仮託させて紡ぎ出した文章群で、昔話、民話、お伽噺、伝説などの形をとります。

2つの文章群の違いを示すため、具体的な事例を下表に挙げておきます。

以上のような物語と神話は、マーケティングに応用されると、次のようになります。

◆物語は「差異化」戦略の一つ、いわゆる物語戦略となり、「曰く因縁由緒来歴」などの意味を一連の記号の流れに変えて、商品やサービスの上に乗せることで、広告効果や販売拡大をねらうことになります。

◆神話は「差元化」戦略の有力な手法の一つ、神話戦略となって、商品やサービスの上さまざまな元型を組み入れた象徴の流れを加えることで、ユーザーの感覚や無意識に訴求して、広告効果や販売拡大をねらいます。

表層的な次元でみれば、両方ともに需要拡大を狙ったマーケティング戦略ですが、もっと根本的な次元でみると、大きく異なっています

差異化戦略と差延化戦略の間には、ユーザーに何を訴えるかという点において、根本的な違いがあるからです
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2016年7月15日金曜日

物語戦略と神話戦略・・・どこがどう違うのか?

スマホのCMにおける「白戸家」と「三太郎」を、差異化戦略と差元化戦略、あるいは物語Story)戦略神話(Mythology)戦略の視点から比較してきました。

ところが、最近の経営戦略論やマーケティング戦略論などでは、シンボリック・ストーリー戦略とか顧客コミュニケーション戦略などという乱暴な命名によって、これらの区分をまったく無視した、粗雑な議論が横行しています。

これは、1980年代以降の差異化隆盛時代から2000年以降の差異化反省時代に至る、約30年間の
是々非々論をほとんど顧みない暴挙といえるでしょう。

どこが暴挙なのか、列挙してみましょう。

 

①発信側の意図的な「記号(サイン:sign)」の連結である「物語」と、発信者が受信者と共有しようとする「象徴(シンボル:symbol)」体系としての「神話」を混同している(参照)。

②生活者の「欲望(仏désir、英desire、独begierde)に訴える手段であるサインと、「欲動(仏plusion、英drive、独trieb)」を呼び起こす手段であるシンボルを混同し、生活願望の構造を無視している(参照
)。

③過剰な記号化戦略によって混乱させられた、生活者の自己決定力を、物語重視戦略はさらなる記号の連発によって、いっそう疲弊化させる恐れがある。

以上のような欠陥によって、シンボリック・ストーリー戦略は、2000年以降の差異化戦略への反省や批判を、悉く無駄にしていきます

マスメディアからデジタルメディアへ、コミュニケーションツールが急速に移行していく現在、安易なストーリー戦略や差異化戦略は、生活者の立場をますます弱めていくのではないか、と強く危惧します。

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2016年7月4日月曜日

三太郎の優位はこのまま続くのか?③:「人物相関図」は要らない!

3番めの疑問点は【三太郎人物相関図】というキャラクター関係を公開したことです。

三太郎CM では2015年12月から【三太郎人物相関図】を公開し、それ以降も次々に変化を加えています。


ここで示された各人物の関係は、よく知られた昔話とは違って、桃太郎とかぐや姫が夫婦、乙姫とかぐや姫が姉妹など、かなり意外ものです。

一見、ユニークな関係で、視聴者の多くを惹きつけると思いがちですが、実はここに三太郎CMの限界があります。

なぜなら、日本列島の居住民族が長い年月をかけて育んできた、さまざまなキャラクターの独自性や個性が勝手に作り変えられているからです

これによって、桃太郎、金太郎、浦島太郎、乙姫、かぐや姫などに、私たち一人一人が抱いていた、豊かで多彩なイメージが貧相に固定化されてしまいました。

なにが問題なのか、整理してみましょう。

①意識の深層で自由に蠢いていた“神話”性が、表層的な意図を付加された“物語”性に移行させられています。

②個々の視聴者に委ねられていた、キャラクターの豊かな個性が、提供者が強制する、固定的で狭隘な人物像に堕されました

③相関図という、閉じたネットワーク思考そのものが、近代的、意識的、表層的な発想に留まっており、無意識次元での自由で伸びやかな発散思考を妨げています

一言でまとめれば差元化」の魅力を捨てて、手軽な「差異化」に堕ちていきつつある、ということでしょう。


こうした疑問点が視聴者の意識の表層に浮かんでくるにつれて、三太郎CMの魅力は少しずつ薄れ始めています

このブログで疑問点を指摘してから、ほぼ1カ月、三太郎CMへの批判があちこちから湧き上がってきました


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