言語3階層説を、具体的な「言葉」を素材にして考察しています。
前回までの五感言葉に続いて、今回は「気づく」という識知言葉をとりあげます。
人間は周りの環境世界を、五感による「身分け」で「認知」し、意識による「識分け」で「識知」し、言語力による「言分け」で「理知」しています。
この過程において、「気づく」という言葉は、「身分け」が把握したものを「識分け」で意識することを意味しています。つまり、「気づく」とは「意識する」という言葉の一形態だ、といえるでしょう。
上図で言えば、私たち日本人はまず「身分け」が捕まえた、さまざまな感覚を「ピン」や「ハッ」などのオノマトペ、つまり深層・象徴言語で表現します。
次に「言分け」によって、それらを「気づく」「覚(さと)る」などの日常・交信言語で表わします。
さらに「言分け」をより高度化した思考・観念能力によって、「認識」「察知」など、コト界の「思考・観念言語」に置き換え、文学、哲学、科学研究などを行っています。
●和歌・・・「気づく」よりも「さとる」が多用されています。
こころとて けにはこころも なきものを さとるはなにの さとるなるらむ・・・続古今集 巻八:よみびとしらず さとるへき みちとてさらに みちもなし まよふこころも まよひならねは・・・新後撰集 巻九:よみびとしらず |
●小説・随筆・・・「気づく」とともに「意識」「察知」「覚醒」も使われています。
月が手を伸ばして太鼓を拾ったのを、誰も気付きませんでした。・・・小川未明『月と海豹』 そして、以前とは多少、物の見方や考え方なども自分ながら変って来ていることにも気付きますが・・・宮本百合子『アメリカ文士気質』 饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。・・・芥川龍之介『羅生門』 これまでの新聞の発展は、社主が意識して遂げさせた発展ではなかった。・・・森鴎外『青年』 すぐ事態を察知した。薬品が効かなかったのだ。・・・太宰治『畜犬談』 眼をつぶったまま覚醒し、まず波の音が耳にはいり、ああここは、港町の小川君の家だ・・・太宰治『母』 |
●哲学・・・「意識」「認識」「覚醒」が使われています。
けれども私は、同じく自分の凡庸を意識していても、それをごまかそうとかかっている人に同情する事はできません。・・・和辻哲郎『ある思想家の手紙』 我々が自然を認識するのはこの両様の意味を含んでいる。すなわち外形はそれと全然似よりのない、性質の違ったものを我々に認識させるのである。・・・ 和辻哲郎『「自然」を深めよ』 冬眠の状態にある蛙が半年の間に増大させるエントロピーの量は、覚醒期間のそれに比べて著しく少ないに相違ない。・・・寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」 |
●仏教唯識論・・・意識は「識」という言葉で語られています。
仏教語としてはmanovijñānaの訳語であり、仏教で説く六根のうちの意根を拠り所とする識のこと。物質以外に対する認識で、過去の出来事を想起することや、未来を推測することも意識の働きである。六識のうち、眼・耳・鼻・舌・身の五識を前五識という場合、意識は第六意識と呼ばれる。この第六意識はあくまでも認識の一つであり、心を意味するものではない。・・・新纂浄土宗大辞典 |
●認知心理学・・・「アウェアネス」と定義しています。
Awareness(気づき)とは、ある情報を包括的なコントロールに直接的に利用できる状態(direct availability for global control)を言い、例えば赤いものが見えていることに気づいているとは、「赤いもの見えている」と言葉で報告できること、また赤い信号の表示に気づいている場合であれば「信号が赤いのが見えたので、横断歩道ではなく陸橋を使って道を渡ることにした」といった計画的で全体的な運動に情報を利用できることなどを言う。・・・D・J・チャーマーズ:林一訳『意識する心』 |
●脳科学・・・「クオリア」と定義しています。
クオリアとは、ラテン語 qualiaで、単数形は a quale であり、我々が意識的に主観的に感じたり経験したりする「質」のことを指す。日本語では感覚質とも呼ばれる 。一般に、夕焼けの赤い感じ、虫歯の痛み、などの比喩を使って説明されることが多い。・・・脳科学辞典 クオリアは自然界の基本的な要素の一つであり、クオリアを現在の物理学の中に還元することは不可能である。意識の問題を解決するにはクオリアに関する新しい自然法則の探求が必要である。・・・D・J・チャーマーズ:同上 |
以上のように、「気づく」という行為は、「覚る」「感づく」などの日常言葉から始まり、「意識」「認識」「察知」「覚醒」、さらには「アウェアネス」「クオリア」などの観念言葉に進展していきます。