さまざまな企業がどれだけ「顧客価値」や「顧客満足」などと唱えたところで、本質的な満足にはほど遠い、ということです。
もし「十分に満足した」との回答があったとしても、それは需要者である生活民の側が、「消費者」の立場に甘んじて、とりあえず妥協した、ということにすぎないのです。
このように書くと、マーケティング関連の学者や業界などから、カスタマイゼーション(customization:顧客個別対応)という、新たな手法があるじゃないか、という反論が必ず出てきます。「個効」を顧客別に修正して、一人ひとりの「私効」を実現する、というマーケティング手法です。
だが、これについても、B.スティグレール(Bernard Stiegler)が痛烈に批判しています(『象徴の貧困』)。
「カスタマイゼーション、一対一の個別マーケティング、市場のハイパーセグメント化などとしての個性化(individualization)とは、特異化(singularisation)をデジタル記号化によって特殊化(particulalisation)に変化させることであり、その記号化のコントロールとしての効果には限りなく強力なもの」となる。
「特異なもの(singulier)を特殊なもの(particulier)に変えてしまうカスタマイゼーションとは、前個体的な環境へのアクセスモードを規格統一して画一化すること」にすぎない。
「特異なもの(singulier)を特殊なもの(particulier)に変えてしまうカスタマイゼーションとは、前個体的な環境へのアクセスモードを規格統一して画一化すること」にすぎない。
昨今、急速に注目を集めているIT技術を駆使したカスタマイゼーション。それですら、需要者の個性を「特殊」という類型にふり分ける、一つの手法にすぎない、というのです。
「価値創造」や「顧客価値」という言葉に、どことなくつきまとう虚しさ、うさん臭さの要因の一つは、こうした虚構性にあります。
供給者が新しい価値をどれほど創り出したとしても、顧客側が「個体性の衰退」や「アイデンティティーの喪失」から抜け出すのはかなり困難、といわざるをえません。
では、どうすればいいのか。スティグレールによると、「中毒的消費」や「消費依存症」を解毒するためには、新しい「生の様式」や新たな「生き方」が求められますから、「象徴制度」の再構築、つまり「教育の計画」や「政治の計画」の再建、さらには「文明の大言説」の復興が必要だ、と主張しています。
この主張にはそれなりに頷けます。だが、あまりに壮大かつ長期的な改革案ですから、現実の市場社会の方向を直ちに変えるのは難しいのではないでしょうか。
とすれば、現実的な方法は、現状の市場社会を前提にしつつも、需要者と供給者の関係、生活財と商品の関わり方を、より深化させていく方向だと思います。
つまり、生活民の側から、より暮らしに身近なところから始めて、段階的に少しずつ市場社会の構造を転換していくことです。いわば「柔軟型市場社会(flexible market society)」ともいうべき方向ではないでしょうか。
具体的にはどうすべきなのか。一つの方向は、過剰な「共効」支配を抑えて、衰退した「私効」を復活させることです。「共効」優先から「私効」重視への転換を図る。あるいは「個効」と「私効」のバランスを回復する、という方向です。
生活民としては、マスメディアや消費市場から押し付けられる流行やライフスタイルを一旦棚上げにしたうえで、自分自身の中身や暮らしを見つめ直し、そこから改めて「何が欲しいのか」、生活願望を再構築していくことです。
過剰な消費社会に慣れた身には、簡単なことではないのかもしれません。
けれども、その可能性を探ることから、「消費者」という低位を脱却し、「生活民」の優位を復活させる可能性が生まれ、さらには市場社会そのものの再構築という、大きな方向が見えてくるのではないでしょうか。
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