W.S.ジェヴォンズ、C.メンガー、L.ワルラスがそれぞれ独自に創始した「主観価値説」は、モノや商品の価値はもっぱら消費者の主観的な評価である「効用(utility)」に基づく、という「ねうち=直」中心理論です。
これに対し、W.ペティ、A.スミス、D.リカードらの古典派経済学や、K.マルクスのマルクス経済学などが主張する客観価値説は、モノや商品の価値はそれを作り出す労働に基づく、という「交換価値(value in exchange)」論、つまり「あたひ=價」論が中心でした。
両者の違いは、A.スミスの立てた命題「水は有用であるが通常は安価であり、宝石はさほど有用ではないが非常に高価である。これはなぜなのか」に対する、それぞれの回答によって鮮明になります。
◆客観価値説・・・
「価値」という概念を提起したうえで、それを「使用価値」と「交換価値」に分け、使用価値の大小はモノの属性によって決まり、交換価値の大小は供給量=労働量によって決まる、と説明します。
「水ほど有用なものはないが、それでどのような物を購買することもほとんどできない」のに対し、「ダイヤモンドはどのような使用価値もほとんどないが、それと交換できるきわめて多量の財貨をしばしばえることができる」から、ダイヤの交換価値は「その商品がその人に購買または支配させうる労働の量に等しい」というのです。
◆主観価値説・・・
「効用」という概念を提示したうえで、消費量の変化によって「全部効用(基本的な満足度)」と「限界効用(一つ増えることで得られる主観的な満足度)」が分かれるとし、供給量の増減による両者の違いが価格の上下を作り出す、と説明します。
「水の全部効用は高いが、無限供給に近いから、限界効用が低くなって安価となる。一方、宝石の全部効用は低いが、供給に限界があるから、限界効用が高くなって高価となる」というのです。
以上のように、経済学の歴史を振り返ると、「有用性」という概念を現す言葉では、客観価値説の「使用価値=あたひ=價」論と主観価値説では「効用=ねうち=直」論が対立しています。
だが、いずれの立場においても、「使用価値=効用=ねうち」的なものと「交換価値=価値=あたひ」的なものを区別し、それぞれの比重の差によってモノや商品の「有用性」を現している、といえるでしょう。
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