「価値創造こそマーケティングの王道」という言説が、あちこちで喧伝されています。
ここでいうマーケティングとは、あくまでも供給者の立場からの「サプライヤ―・サイド・マーケティング(Supplier- side Marketing)」ですから、それなりに意味のあることでしょう。
しかし、このブログで再三述べてきたように、マーケット(市場)へのアプローチは、供給者からだけ行われるものではなく、需要者あるいは生活民のサイドからも行われています(User-side Marketing)。市場社会に生きる生活民は、好き嫌いにかかわらず、消費市場と付き合っていかなければならないからです。
とすれば、マーケティングという概念もまた、供給側だけでなく、供給側+需要側の両面を含めることによって、初めてより統合的・全体的な視野を獲得できることになります。
従来、ほとんど無視されてきた生活民側からのアプローチを理解することで、供給サイドからのマーケティングも、いっそうレベルを上げていくことが可能になるのです。
以上の視点に立つと、「価値」の創造もまた、供給者側からの一方的なネウチ作りにすぎません。
市場社会における「価値」とは、先に述べたように「社会界において、ラング=社会集団が共同主観として認めた共同的有用性」であり、「共効(Social Utility)」という、一つのネウチにすぎません。
一方、真の生活民が求めているのは、「私人界において、パロール2=私的使用を行う時、一人の私人が独自に創り出した私的有用性」、つまり「私効(Private Utility)」というネウチです。
そうである以上、どれほど「価値」のある商品を創造したとしても、生活民の「私効」として認められなければ、ほとんど意味がありません。
供給者が創造したという「価値」を、一方的に押し付ければ押し付けるほど、需要者としての生活民はそっぽを向いて、時にはそれを無視することになります。
本当に「新たな価値」を創造したいのであれば、一人ひとりの生活民が求めている個々の「私効」に対して、的確に対応できるモノを提供していくことが必要です。
それには、可能な限り「押しつけ」を排して、「インタラクティヴィティ(interactivity=相互交換性)」や「カスタマイゼーション(customization=利用者参加性)」などのネウチを備えた「個効(Individual Utility)」を提案していかなければなりません。
つまり、「(社会と個人の間の)間人界において、生活民がパロール1=個人使用を行う時に、一人の個人として、社会的効用を受け入れた個人的有用性」を、新たに創り出すことが求められているのです。
こうした視点を無視した、安易な「新価値創造」を行えば、生活民からほとんど無視されることになり、新たな市場を作ることなど到底無理となるでしょう。
2016年11月29日火曜日
2016年11月22日火曜日
生活民は「価値」よりも「私効」を重視!
生活民の暮らしとは「自己生産や自給行動と他者生産や受給行動との接点で行動する」ものだ、と述べてきました。
この場合、供給側の創り出す「価値」と生活民の重視する「私効」の関係はどうなっているのでしょうか。
生活空間におけるネウチ(有用性)の構造については、すでに次のタイトルで述べています。
【価値と効用・・・言語学で説明する!】(2015年10月5日)
【効用の3つの形・・・マーケティング戦略も3つに分かれる!】(2015年10月20日)
これらを生活民の視点で改めて整理してみると、次のように要約できます。
●価値=共効(Social Utility)・・・社会界において、ラング=社会集団が共同主観として認めた「共同的有用性」。
●個効(Individual Utility)・・・間人界において、生活民がパロール1=個人使用を行う時に、一人の個人として、社会的効用を受け入れた「個人的有用性」。
●私効(Private Utility)・・・私人界において、生活民がパロール2=私的使用を行う時、一人の私人が独自に創り出した「私的有用性」。
つまり、生活民の生活行動に当てはめれば、「私効と個効と共効の接点で行なわれる」という意味になります。
いいかえれば、生活民はそれぞれの生活の中で、自分で創り出した「私効」を中心としつつも、外部から調達してきた「共効」を「個効」として受け入れ、新たな「私効」へと変換することにで、有用性の範囲を広げている、ということになるでしょう。
このように考えると、供給側(現代市場社会では企業が中心)の差し出す、新たな「共効=価値」とは、あくまでも生活民がそれぞれの私効を構築していくための素材ということになります。
従来の供給サイド・マーケティングでは、「新たな価値創造」とか「新たな付加価値」という行動が最重要課題のように喧伝されてきました。
だが、それはあくまでも供給側に限った視点であり、需給両面、つまり生活民を含めた、よりトータルなマーケティングから見れば、片手落ち、あるいは一方的な方法論にすぎません。
真の「価値」創造とは、生活民の1人1人が新たな「私効」を充実できるような、新たなネウチ(有用性)の素材を提供することにあるのです。
この場合、供給側の創り出す「価値」と生活民の重視する「私効」の関係はどうなっているのでしょうか。
生活空間におけるネウチ(有用性)の構造については、すでに次のタイトルで述べています。
【価値と効用・・・言語学で説明する!】(2015年10月5日)
【効用の3つの形・・・マーケティング戦略も3つに分かれる!】(2015年10月20日)
これらを生活民の視点で改めて整理してみると、次のように要約できます。
●価値=共効(Social Utility)・・・社会界において、ラング=社会集団が共同主観として認めた「共同的有用性」。
●個効(Individual Utility)・・・間人界において、生活民がパロール1=個人使用を行う時に、一人の個人として、社会的効用を受け入れた「個人的有用性」。
●私効(Private Utility)・・・私人界において、生活民がパロール2=私的使用を行う時、一人の私人が独自に創り出した「私的有用性」。
つまり、生活民の生活行動に当てはめれば、「私効と個効と共効の接点で行なわれる」という意味になります。
いいかえれば、生活民はそれぞれの生活の中で、自分で創り出した「私効」を中心としつつも、外部から調達してきた「共効」を「個効」として受け入れ、新たな「私効」へと変換することにで、有用性の範囲を広げている、ということになるでしょう。
このように考えると、供給側(現代市場社会では企業が中心)の差し出す、新たな「共効=価値」とは、あくまでも生活民がそれぞれの私効を構築していくための素材ということになります。
従来の供給サイド・マーケティングでは、「新たな価値創造」とか「新たな付加価値」という行動が最重要課題のように喧伝されてきました。
だが、それはあくまでも供給側に限った視点であり、需給両面、つまり生活民を含めた、よりトータルなマーケティングから見れば、片手落ち、あるいは一方的な方法論にすぎません。
真の「価値」創造とは、生活民の1人1人が新たな「私効」を充実できるような、新たなネウチ(有用性)の素材を提供することにあるのです。
2016年11月12日土曜日
自給と他給の接点で考える!
3つの軸で交差された「生活構造」のうえで、生活民はどのように行動しているのでしょうか。
これまで述べてきたように、生活民とは、市場社会のユーザー(消費者)の立場を超えて、市場社会の成立以前から存在した、自立的な人間像を基本にしています。
それゆえ、生活民の生活行動とは、原始社会の自給自足や自産自消(自給経済システム)をベースにしつつ、共同体社会での地産地消や域内贈収(贈与経済システム)へ、さらに市場社会での他産他消や市場需給(市場経済システム)にまで広がっています。
これまで述べてきたように、生活民とは、市場社会のユーザー(消費者)の立場を超えて、市場社会の成立以前から存在した、自立的な人間像を基本にしています。
それゆえ、生活民の生活行動とは、原始社会の自給自足や自産自消(自給経済システム)をベースにしつつ、共同体社会での地産地消や域内贈収(贈与経済システム)へ、さらに市場社会での他産他消や市場需給(市場経済システム)にまで広がっています。
このことは、経済システムが進歩するにつれて、生活行動が変化してきた、ということではありません。
経済システムの変化に応じて、自給自足的な行動が様々に変化しつつ、柔軟に適合してきたことを意味しています。
いいかえれば、市場社会がいかに進歩したとても、生活民の自給自足や自産自消が簡単に消え去ることはありえません。
現に私たちは、野菜を栽培したり魚を釣ることこそ行なっていませんが、スーパーマーケットでそれらを購入(他給)してきて、煮たり焼いたり揚げたりして、自ら調理するという自給行動は依然として続けています。
それゆえ、現代社会における生活民の生活行動とは、「それぞれの生活を営んでいくうえで、自給行動を基礎にしつつ、外側に広がる共同体や消費市場をいかに利用するべきか」ということになります。
いいかえれば、「自己生産や自給行動と他者生産や受給行動との接点で行動する」ということになるでしょう。
経済システムの変化に応じて、自給自足的な行動が様々に変化しつつ、柔軟に適合してきたことを意味しています。
いいかえれば、市場社会がいかに進歩したとても、生活民の自給自足や自産自消が簡単に消え去ることはありえません。
現に私たちは、野菜を栽培したり魚を釣ることこそ行なっていませんが、スーパーマーケットでそれらを購入(他給)してきて、煮たり焼いたり揚げたりして、自ら調理するという自給行動は依然として続けています。
それゆえ、現代社会における生活民の生活行動とは、「それぞれの生活を営んでいくうえで、自給行動を基礎にしつつ、外側に広がる共同体や消費市場をいかに利用するべきか」ということになります。
いいかえれば、「自己生産や自給行動と他者生産や受給行動との接点で行動する」ということになるでしょう。
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