第3は感覚・感情の視点。私たちは無意識下の感覚次元でも、時代の流れや社会の変化に敏感に反応し、さまざまな感情を生み出しています。
この視点から見ると、白戸家と三太郎のCMの間には、次のような違いがあり、これが違和感となって、両者に差をつけています。
1つはモデルとなる家族像の差
白戸家は伝統的な名門家族をモデルとし、三太郎は何人かのキャラクターの共棲するシェア家族をモデルにしています。
情報機器のユーザーの場合、伝統的な家族を象徴するのは固定電話、純個人向け情報手段の代表はスマホ、ということになりますから、直感的にも三太郎CMがぴったりします。
2つめは顧客となる家族構造の変化
現在の日本では、人口構造の変化に伴って、三世代家族や核家族などの伝統的な家族は漸減し、代わって単身者やDINKS (子どものいない共働き夫婦)などが漸増しており、シェアハウスやコレクティブハウスのような新型家族も始まっています。
この点でも、伝統的家族をモデルとする白戸家CM よりも、個人ユーザーをモデルにした三太郎CMの方が、より多くの顧客をとらえることができます。
3つめは旧記号を利用する難しさ
白戸家CMでは2015年10月から、往年の名作アニメの主人公が登場する「MOON RIBAR」シリーズを流しました。有名タレントが「セーラームーン」「アトム」「ちびまる子」「矢吹丈」といった人気キャラクターに扮し、それぞれの現在を実写化したもので、三太郎CMの昔噺キャラクターに対抗しようとする意図も感じられました。
過去のストーリー(物語)を現在のストーリーに重ねるというダブル記号化戦略ですが、重ね方に少しでも違和感があると、視聴者に強い拒否感を与えることになります。
伝統的・汎用的な昔噺キャラクターと異なって、人為的に作られた物語キャラクターでは、視聴者がさまざまな感情を移入しているケースが多く、ダブル化されたストーリーの中でそれらがうまく活かされていないと、かなりの不満や不快感を覚えることになります。
白戸家CMのアニメ復活シリーズでは、この危惧がまさに的中し、多くの視聴者から批判されました。感覚的な不快感がCM戦略を排除したのです。
以上のように、感覚・感情の点において発生した違和感もまた、白戸家が三太郎に敗れた理由の一つといえるでしょう。
第2は無意識支援の視点。三太郎シリーズはCMの中に視聴者の無意識を刺激する、極めて優れた仕掛けを入れることで、好感度を大きく上げています。
白戸家シリーズでも、2011年6月に白戸家にそっくりな家族が登場する「偽戸家」が登場し、視聴者の注目を集めたことがありました。お父さん犬の父を囲んでいる祖母、母、兄、妹のそれぞれが、全く別の家族に変わっていたというものです。
従来のキャラクターが突然変わったので、それなりに話題となりましたが、あくまでもストーリーの変型として造られていました。このためか、少し慣れてくると、単なるパロデイにすぎないと飽きられてしましました。
これに対し、三太郎シリーズでは、2016年4月1日、桃太郎、金太郎、浦島太郎の三太郎が、全く別の3俳優に変わってしまうという一編を流し、これに気づいた視聴者をアッと驚かせました。エイプリルフール限定で流されたものですが、スタンドイン(撮影前の代理役)の3人がそのまま出演した、ニセモノの「三太郎」です。
このCMは、まったく広報しないで、視聴者自身の感覚と認知に任せるという無意識喚起性と、ストーリーとは無縁の偶然性という、2つの手法によって、単純なストーリー戦略を抜け出しています、
それだけではありません。三太郎シリーズには、より高度な無意識喚起性が仕組まれています。
2015年7月の「かぐや姫の帰省」篇以降、最近までの30編近い作品に、これまたお伽噺の代表的キャラクター「一寸法師」がひっそりと挿入されているのです。通常の視聴ではまずは見つからないような、小さな姿が、まったく意外な場所に潜んでいます。
見ているのに気づかない。何か気にかかる。気づけは嬉しくなる。知ったら知人に教えたくなる・・・などの諸点で、まことに見事な仕組みといえるでしょう。
以上のような無意識支援性によって、三太郎は白戸家を圧倒しています。
まとめてみると、①視聴者自身の感覚と認知を喚起する無意識支援性、②視聴者に次の期待を抱かせる探索誘導性や参加性、③発見を広めたいという波及性、④ストーリーとは無縁の偶然性、といった点で、表層的なストーリー戦略を抜け出し、深層的なミソロジー戦略に到達しているといえるでしょう。
これまで述べてきたことを実証する好例が、スマホのCMにおける「白戸家」と「三太郎」の勝敗です。
このブログでも、半年前にすでに紹介していますが、S社の「白戸家」シリーズは人語を話す「お父さん犬」とその家族のおりなす日々の暮らしという、ユニークな設定が注目されて、CM総合研究所の「銘柄別CM好感度ランキング」でも、デビューした2007年から2014年まで連続8年の間トップを維持してきました。
しかし、2015年度の同ランキングで、K社の「三太郎」シリーズに首位を奪われ、2016年前半でも倍以上の差をつけられています。
「三太郎」シリーズはお伽噺でおなじみの桃太郎、浦島太郎、金太郎の三太郎に、かぐや姫、乙姫、鬼、花咲爺などが絡まって、コミカルな掛け合いを繰り広げるもので、2015年1月のオンエア開始時から圧倒的な支持を集め、その後も観測史上最高の好感度を維持しています。
この要因はどこにあるのでしょうか。すでにさまざまな論評が行われていますが、このブログの趣旨からみると、幾つかの指摘ができます。
第1は象徴力支援の視点。つまり、ミソロジー戦略がストーリー戦略を超えたことです。
白戸家シリーズは、典型的なストーリー戦略であり、人工的な物語を次々と更新することで、その魅力を保ってきました。だが、人工的な差異化戦略では新奇性が命ですから、ストーリーの展開や新しいキャラクターの登場などが絶えず迫られます。そうなると、展開が頻繁になればなるほど、視聴者はさらなる新しさを求めるようになり、少しでも停滞すれば、すぐに飽きられることになります。それがストーリー戦略の宿命です。
これに対し、三太郎シリーズは昔話・お伽噺・神話などを応用したミソロジー戦略ですから、基本的な筋書が民俗的・潜在的な地盤に基づいており、何人かのキャラクターもまたアーキタイプ(ユングの元型)そのものです。それゆえ、新規性よりも既視性、新しさよりも懐かしさ、表層性よりも深層性が訴求対象になっています。こうした差元化戦略の安心感が視聴者の気持を強くとらえている、といえるでしょう。
この違いが、時代の変化、社会構造の変遷、生活者心理の移行などに伴って、白戸家を退かせ、三太郎への支持を高めたものと思われます。
第2、第3の要因については順番に書いて行きます。