2018年5月30日水曜日

“効用”という“あたひ”とは・・・

W.S.ジェヴォンズ、C.メンガー、L.ワルラスがそれぞれ独自に創始した「主観価値説」は、モノや商品の価値はもっぱら消費者の主観的な評価である「効用(utility)」に基づく、という「ねうち=直」中心理論です。

これに対し、W.ペティ、A.スミス、D.リカードらの古典派経済学や、K.マルクスのマルクス経済学などが主張する観価値説は、モノや商品の価値はそれを作り出す労働に基づく、という「交換価値(value in exchange論、つまり「あたひ=價」論が中心でした。


両者の違いは、A.スミスの立てた命題「水は有用であるが通常は安価であり、宝石はさほど有用ではないが非常に高価である。これはなぜなのか」に対する、それぞれの回答によって鮮明になります。

客観価値説・・・

価値」という概念を提起したうえで、それを「使用価値」と「交換価値」に分け、使用価値の大小はモノの属性によって決まり、交換価値の大小は供給量=労働量によって決まる、と説明します。

「水ほど有用なものはないが、それでどのような物を購買することもほとんどできない」のに対し、「ダイヤモンドはどのような使用価値もほとんどないが、それと交換できるきわめて多量の財貨をしばしばえることができる」から、ダイヤの交換価値は「その商品がその人に購買または支配させうる労働の量に等しい」というのです。

主観価値説・・・

効用」という概念を提示したうえで、消費量の変化によって「全部効用(基本的な満足度)」と「限界効用(一つ増えることで得られる主観的な満足度)」が分かれるとし、供給量の増減による両者の違いが価格の上下を作り出す、と説明します。

「水の全部効用は高いが、無限供給に近いから、限界効用が低くなって安価となる。一方、宝石の全部効用は低いが、供給に限界があるから、限界効用が高くなって高価となる」というのです。

以上のように、経済学の歴史を振り返ると、「有用性」という概念を現す言葉では、客観価値説の「使用価値=あたひ=價」論と主観価値説では「効用=ねうち=直」論が対立しています。

だが、いずれの立場においても、「使用価値=効用=ねうち」的なものと「交換価値=価値=あたひ」的なものを区別し、それぞれの比重の差によってモノや商品の「有用性」を現している、といえるでしょう。

2018年5月21日月曜日

L.ワルラスの “価値”観

フランスの経済学者、レオン・ワルラス(Leon Walras 1834-1910)は『純粋経済学要論』(Éléments d'économie politique pure; ou. théorie de la richesse sociale ,1874~77、手塚寿郎訳、1933)の中で、商品の“効用”や“価値”について、次のように述べています(抜粋・要旨)

 

●物は何らかの使用に役立ち得ときから、すなわち何らかの欲望に適い、これを満足し得るときから効用(元訳では“利用”)がある。
 
●通常の会話では必要と贅沢との間に快適とならべて有用を分類するのであるが、ここではこれらの語のニュアンスを問題としない。必要・有用・快適・贅沢これらすべては我々にとっては程度を異にする効用を意味するに過ぎない。
 
効用のある物はその量の制限せられている事実によって稀少となるのであるが、この結果として3つの事情が生れる。 
  1. 量において限られかつ効用のある物は、専有せられる。無用の物は、専有せられない。
  2. 効用があって量において限られた物は、価値がありかつ交換せられ得る。
  3. 効用があって量において限られた物は産業により生産せられ得る物であり、または増加し得られるものである。 
交換価値、産業、所有権、これらは物の量の制限すなわち稀少性によって生ずる3つの一般的事実であり、3つの系列または種類の特種的事実である。そしてこれら三種の事実が動く場面はすべての社会的富であり、また社会的富のみである。
 
●よって、交換価値稀少性に比例する。
 
以上のように、ワルラスは【個人の欲望に対する稀少性の上下】という視点から、【ねうち:効用】と【あたひ:価値】を考察しています。

2018年5月10日木曜日

C.メンガーの “価値”観

オーストリアの経済学者、C.メンガー(Carl Menger)もその著『一般理論経済学』(Grundsätze der Volkswirtschaftslehre,1923,八木紀一郎他訳,1982)の中で、商品の”効用”や”価値”について、次のように述べています(要旨)。


効用性とは・・・
「ある物が人間の欲望の満足に役立つという適正(Tauglichkeit)を示すことができるのは、もっぱら、その物の性質によってだけである。

けれども効用性(Nützlichkeit)というのは、何ら物の客観的な性質ではなくて(個体的もしくは種属的に)規定された事物の人間に対する関係すぎない。」

価値とは・・・
「価値は、財に付着したものでも、財の属性でもなければ、自立的な、それだけで存立している物でもない。

価値とは、具体的財が経済活動を行なう人々にたいしてもつ意義であり、この財がそれを獲得するのは、自分たちの欲望の満足いかんがその財(の支配)に依存していることを彼らが意識しているからである。
それゆえに、人間の意識の外には存在していない(後略)。」

価値とは、具体的な財または具体的な財数量が、われわれにたいして獲得する意義、自分の欲望を満足させることがこれらの支配に依存していることをわれわれに意識させることによって、それらがわれわれにたいして獲得する意義である。」

価格とは・・・
価格、いいかえれば交換において現れる財の数量は、たとえそれがわれわれの感覚に鮮明に訴えるために科学的観察のもっとも慣行的にとりあげられる対象をなしているにせよ、決して交換という経済現象にとって本質的なものではない

本質的なものはむしろ両交換者の欲望満足のための交換によってより良好な先慮がもたらされるということのうちに横たわっているのである。」

以上のように、メンガーは極めて主観主義的な「ねうち」観に立って、価値や価格は交換経済の本質的なものではないとし、アリストテレスからアダム・スミスに至る古典派経済学の【「あたひ=相等性」×「ねうち=相当性」】二元論を厳しく批判しています。