「生活民マーケティング」という視点から、供給側の打ち出す7差化戦略(差別化、差異化、差元化、差汎化、差延化、差真化、差戯化)に向けて、一人ひとりの「生活民」が行うべき対応行動を一通り述べてきました。
一区切りつけるために、「生活者」や「消費者」と比較して、「生活民」の行う生活行動のポイントを整理しておきましょう。
◆生産者とは・・・
①「価値(Value=Social Utility)」によって「個効(Individual Utility)」や「私効(Private Utility)」を誘発する主体である。・・・【新たな「価値」を創るには・・・:2016年11月29日】
②「感覚(sense)」や「象徴(symbol」よりも「言葉(word)」や「記号(sign)」によって商品を売ろうとする主体である。・・・【差異化とは何か?:2015年7月17日】
③「真実」も「虚構」も、両方とも新たな「価値」や「販売手段」として利用しようとする主体である。・・・【7つの生活願望をつかむ、7つのマーケティング戦略:2015年6月24日】
◆消費者とは・・・
①「価値(Value=Social Utility)」に従って、「個効(Individual Utility)」を求める主体である。・・・【生活民にとって「差延化」とは・・・:2016年2月19日】
②「感覚(sense)」や「象徴(symbol」よりも、「言葉(word)」や「記号(sign)」に追随する主体である。・・・【差異化と差元化を比較する!:2015年12月26日】
③「真実」と「虚構」の混在する「日常」の中で生きる主体である。・・・【「脱・真実」へ対応する!:2017年5月23日】
◆生活民とは・・・
①「価値(Value=Social Utility)」よりも「私効(Private Utility)」を求める主体である。・・・【生活民は「価値」よりも「私効」を重視!:2016年11月22日】
②「言葉(word)」や「記号(sign)」よりも「感覚(sense)」や「象徴(symbol」を重視する主体である。・・・【差異化を超えて差元化へ:2016年4月19日】
③「真実」よりも「虚構」から「日常」や「真実」を眺める主体である。・・・【嘘を作り出す二重の構造!:2017年6月10日】
このような生活民の生活行動を、前回説明した生活球の中に位置づけてみると、下図のようになります。
以上のように、生活民の立場を定めてくると、その英語名称もまた、consumer(消費者)やPro-sumer(生産・消費者)はもとより、User(需要者)やSelf-helper(生活者)というよりも、Life Creators(民:複数)といった方が適切かもしれません。
とすれば、「生活民マーケティング」という名称もまた、「Life Creators Marketing(略称:LC-Marketing」ということになるでしょう。
真実界と虚構界の、2つの空間に挟まれ、真偽の入り混じった生活空間・・・これこそが私たちが毎日暮らしている日常界です。
それゆえ、私たちの日常生活とは、真実と虚構の狭間で絶えず揺れ動いています。
とりわけ、最近ではSNSなどWeb Networkの拡大で、日常界ではウソの比重が急速に高まってきました。
真っ赤なウソやいい加減な情報が飛び交ったり、客観的な事実を無視して感情的な主張のみが罷り通る政治状況、いわゆる「Populism」も広がり始め、「post-truth(脱・真実)」などという懸念も高まっています。
IT技術が創り出した、こうした社会環境に、私たち一人ひとりの生活民はどのように対応していけばよいのでしょうか。
すでに「SNSにどう向き合うか?」(2017年5月11日)で述べましたが、2つの基本的な態度が求められます。
①情報環境への差延化行動の強化・・・「私仕様」「参加」「編集」「変換」「手作り」という5つの基本行動を積極的に展開して、情報市場の生活素場化を進めていく。
②情報発信の基本である言語虚実性の応用化・・・「言葉」というツールの、真実と虚構という二重性を徹底的に理解したうえで利用していく。
この2つは下図でいうと、個人-社会軸、真実-虚構軸に対応するものですが、これらに加えてもう一つ、言語-感覚軸に対応する行動が考えられます。
③深層的言語能力の強化・・・SNSなどで多用されている表層的な言語(記号)だけでなく、それらの深部に存在する、深層的な言語(象徴)の活用行動を深めることで、表層記号の真偽を見分ける能力を高めていく。
言葉というと、音声記号や活字記号など「表層意識において理性が作り上げる言語」だけと考えがちですが、もう一つ、無意識をとらえる「深層意識的な言語」があります(井筒俊彦『意識と本質』)。
なんとなく気持ちが悪い、なんとなく違和感がある、とりあえず好感度が高い、といった次元で、周りの現象を把握し、それを日常言語以前のイメージ(元型)やオノマトペ(擬声語)などで理解することです。
表層的な言語が「記号」であるとするなら、深層的な言語は心理学的な意味での「象徴」とよばれています。
象徴次元のウソとマコトは、記号次元に比べると、より直接的に身分けられるものです。象徴次元での言語感覚が高まれば、記号次元でのウソ・マコトを仕分ける能力もまた急速に上昇していきます。
それゆえ、象徴という言語を使いこなすために、直観力や体感力など、もともと人間に備わっている表象能力を改めて強化することが必要です。
「post-truth(脱・真実)」を打ち破るためには、①②に加えて、究極的には③の象徴力の錬磨が求められるでしょう。
「まこと」や「真実」の対極にある「うそ」や「虚構」は、どんな仕組みから生まれてくるのでしょうか。
言葉という装置は、「真実」を保証するとともに、「虚構」もまた作り出しています。
言葉の作り出すメタ・メッセージ空間には、すべてを「真実」とみなす「真実界」と、すべてを「虚構」とする「虚構界」が、「日常界」を挟んで向かい合っています。
このうち、虚構界とは「差戯化とは何か?」(2015年11月29日)の中で述べたように、言葉の示すことをすべて嘘とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場であり、いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」「ソラゴト」「タワゴト」などの言葉が浮遊する空間です。
虚構界の中では、私たちは言葉の示す意味や目標を意識的に緩めたうえで、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わっていますが、その中身を整理してみると、次の2つに大別できます
➀言葉の持つ規範性を敢えて無視し、怠惰、虚無、浪費、蕩尽などへまっしぐらに転落していこうとする消極的な弛緩行動であり、個人次元でいえば目標や規律を外した怠惰や惰性、経済次元でいえば節約や貯蓄を無視した浪費や蕩尽などが該当します。
●勤務中のタバコやコーヒーは、日常界では怠惰や惰性とみなされやすいのですが、虚構界であれば息抜きやリフレッシュとして評価されます。
●仕事納めの大宴会は、日常界では浪費や無駄使いとみなされますが、虚構界であれば 大番振舞やポトラッチ(蕩尽儀礼)として評価されます。
②言葉の虚構性をむしろ認めて、遊戯、ゲーム、模擬、混乱などを思い切り楽しもうとする積極的な遊戯行動であり、個人次元でいえば息抜きのための遊戯や遊興、社会次元でいえば大衆的なスポーツやエンターテインメントなどが該当します。
●男同士が本気で殴りあえば、日常界では「大喧嘩」と見なされて可罰対象になりますが、虚構界であれば「ボクシング」というスポーツ行為として、何のお咎めがないばかりか、恰好な見物対象になります。
●ゴジラがビルを破壊すれば、日常界では「大災害」と見なされますが、虚構界であれば「映画」の中のこととして、娯楽や鑑賞の対象になります。
以上のように、虚構界では虚構行動そのものが、真実とは異なる意味で、有意義な生活行動として認められています。
「うそ」という行動は、「まこと」と同等に、私たち人間の生活の中で重要な位置を占めているのです。