7番目のマーケティング戦略は「差戯化」です。
差戯化は、真摯・虚構軸の上の虚構界から生まれてくる虚構願望に応えて、新しいネウチを創り出し、商品やサービスのうえに載せていく手法です。
虚構界とは、言葉の示すことをすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場であり、いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」「エソラゴト」「タワゴト」などが浮遊する空間です。
ここから生まれてくる虚構願望は、言葉の示す目標を意識的に緩めて、自らの行動をあえて弛緩させ、遊びや解放を味わおうとします。
それゆえ、この願望には、言葉の持つ規範性を無視して、怠惰、虚無、浪費、蕩尽などへ向かっていく消極的な方向と、言葉の虚構性を認めて、遊戯、ゲーム、模擬、混乱などを楽しもうとする積極的な方向の2つがあります。
前者の例が個人的次元の怠惰や惰性、経済的次元の浪費や蕩尽などであり、後者の例が社会的次元の遊戯や遊興、スポーツやエンターテインメントなどです。
こうした虚構願望は、今後の社会でますます高まると予想されますが、その背景には一体何があるのでしょうか。
2015年11月29日日曜日
2015年11月25日水曜日
差真化の4つの戦略
第1は自制・自律戦略。望ましい自己を実現しようという目標(言語規範)をめざして、自省や内省を深める「内観」戦略を基礎に、行動や生活を制御しようとする「自律」戦略,自らの将来を描こうとする「向上」戦略が期待されます。
第2は勉学・教育戦略。将来の知的能力を築こうという目標(言語規範)をめざして、自ら学ぼうとする「自習」戦略をベースに、家庭や職場などでも勉学の機会を増やそうとする「勉学」戦略、さらには学校教育や専門教育などを利用して、知力を向上しようとする「教育」戦略が考えられます。
第3は修行・訓練戦略。自らの身体的・精神的能力を高めようとする目標(言語規範)をめざして、トレーニングや修練を行おうとする「自強」戦略をベースに、より強く訓練や鍛錬、節度や摂生を自らに課そうとする「修行」戦略、さらには学校やトレーニング機関で体力を向上しようとする「訓練」戦略が生まれてきます。
第4は作法・儀式戦略。望ましい公共生活を作りだそうという目標(言語規範)をめざして、わがままやエゴを抑制しようとする「自戒」戦略をベースに、マナーや家庭慣習などを守りたいという「作法」戦略、季節儀礼や通過儀礼などを守ろうとする、新たな「儀式」戦略が生まれてきます。
今後のマーケティングでは、以上の4つの願望のそれぞれに応えていく戦略が必要になるでしょう。
2015年11月16日月曜日
真実願望がなぜ高まるのか?
差真化は生活者の真実願望に応える戦略です.
真実願望は、今後の社会でますます高まっていくと思われます。なぜなら、現代社会と同じように、人口が減少し続けた時代には、真実願望が広がっていたという歴があるからです。
一つは新たな道徳感の出現。例えば人口が減り続けた江戸時代中期には、停滞する人口容量のもとで、膨れ上がった自意識を調整するため、さまざまなしくみが生まれています。
例えば、新たな道徳学として生まれた石門心学。1729年(享保14)、京都の商家に奉公しつつ、儒教を学んだ石田梅岩は、町人の日常生活を基礎にしたうえで、神道、儒教、仏教、老荘思想なども取り入れ、庶民向けの倫理学を生み出し、門弟の養成に努めています。
あるいはゴミ戦争の終焉。江戸前期には頻発していた、町内のゴミを夜間に隣町へ放棄し、翌日には隣町が逆襲するというゴミ戦争も、享保期以降になると、幕府公認のごみ捨て請負人組合が収集し、燃料芥、肥料芥、金物芥に分けて湯屋、農家、鍛冶屋などは売却して、再資源化と費用低減の両面を図るという、見事なルールができあがってきます。
こうした作法やマナーの拡大は、同じように人口が減少していた中世後期のヨーロッパにも見られます。この時代には、父親が子どもに公私の生活心得を説く「ユルバンの訓戒」(13世紀)や「食卓の心得」(13~15世紀)といったマナー書が広く普及しています。
もう一つは向学志向の上昇。江戸中期には、武士階級を対象にした藩校はもとより、町人や百姓の子弟を対象にした寺子屋や郷学も増加し、全国的に識字率が急上昇しています。
享保期に解禁された西洋本草学や蘭学は次第に発展して、田沼時代になると、『解体新書』『蘭学事始、『蘭学揩梯』『ハルマ和解』などが出版され、さらに寛政期以降は医学系、物理・化学系、天文暦学系、世界地理学系、西洋事情系などに分かれて急速に広がっています。
このように、人口減少期は作法や儀礼、勉学や鍛錬が重視される真実の時代になります。
すでに現代日本でも、エスカレーターの片側乗りや、トイレやキャッシュディスペンサーの一列待ち、禁煙区域に拡大など、新たな作法やマナーが生まれていますが、これらが浸透していけば、従来の社会ルールに代わる、新たな「公共性」として世の中に定着していくでしょう。
一方、少産・長寿化の進行に伴って、各種の「脳トレ」や四国八十八カ所巡礼など、新たな勉学やトレーニングも流行しはじめていますが、こうした動きはやがて公共的な教育システムの改革にまで波及していくでしょう。
今後、人口減少が進むにつれて、世の中にはゆとりが生まれてきますから、新しい作法や儀礼がさらに広がり、学問や鍛錬をめざす気風もいっそう重視されるようになります。これこそ、今後、真実願望が拡大する、社会的な背景といえるでしょう。
真実願望は、今後の社会でますます高まっていくと思われます。なぜなら、現代社会と同じように、人口が減少し続けた時代には、真実願望が広がっていたという歴があるからです。
一つは新たな道徳感の出現。例えば人口が減り続けた江戸時代中期には、停滞する人口容量のもとで、膨れ上がった自意識を調整するため、さまざまなしくみが生まれています。
例えば、新たな道徳学として生まれた石門心学。1729年(享保14)、京都の商家に奉公しつつ、儒教を学んだ石田梅岩は、町人の日常生活を基礎にしたうえで、神道、儒教、仏教、老荘思想なども取り入れ、庶民向けの倫理学を生み出し、門弟の養成に努めています。
あるいはゴミ戦争の終焉。江戸前期には頻発していた、町内のゴミを夜間に隣町へ放棄し、翌日には隣町が逆襲するというゴミ戦争も、享保期以降になると、幕府公認のごみ捨て請負人組合が収集し、燃料芥、肥料芥、金物芥に分けて湯屋、農家、鍛冶屋などは売却して、再資源化と費用低減の両面を図るという、見事なルールができあがってきます。
こうした作法やマナーの拡大は、同じように人口が減少していた中世後期のヨーロッパにも見られます。この時代には、父親が子どもに公私の生活心得を説く「ユルバンの訓戒」(13世紀)や「食卓の心得」(13~15世紀)といったマナー書が広く普及しています。
もう一つは向学志向の上昇。江戸中期には、武士階級を対象にした藩校はもとより、町人や百姓の子弟を対象にした寺子屋や郷学も増加し、全国的に識字率が急上昇しています。
これに連動して簡易な刷物技術が拡大し、学問、思想、道徳に関わる「書物」が大量に出版され、新たな学問も進展しています。
享保期に解禁された西洋本草学や蘭学は次第に発展して、田沼時代になると、『解体新書』『蘭学事始、『蘭学揩梯』『ハルマ和解』などが出版され、さらに寛政期以降は医学系、物理・化学系、天文暦学系、世界地理学系、西洋事情系などに分かれて急速に広がっています。
このように、人口減少期は作法や儀礼、勉学や鍛錬が重視される真実の時代になります。
すでに現代日本でも、エスカレーターの片側乗りや、トイレやキャッシュディスペンサーの一列待ち、禁煙区域に拡大など、新たな作法やマナーが生まれていますが、これらが浸透していけば、従来の社会ルールに代わる、新たな「公共性」として世の中に定着していくでしょう。
一方、少産・長寿化の進行に伴って、各種の「脳トレ」や四国八十八カ所巡礼など、新たな勉学やトレーニングも流行しはじめていますが、こうした動きはやがて公共的な教育システムの改革にまで波及していくでしょう。
今後、人口減少が進むにつれて、世の中にはゆとりが生まれてきますから、新しい作法や儀礼がさらに広がり、学問や鍛錬をめざす気風もいっそう重視されるようになります。これこそ、今後、真実願望が拡大する、社会的な背景といえるでしょう。
2015年11月5日木曜日
差真化とは何か?
6番目のマーケティング戦略は「差真化」です。
差真化は、真摯・虚構軸の上の真実界から生まれてくる真実願望に応えて、新しいネウチを創り出し、商品やサービスのうえに載せていく手法です。
私たちの生活体を創り出している言葉には、真実を示す機能とともに、真っ赤な嘘を示す機能も潜んでいます。
だが、このままでは不安になりますから、私たちは予め、言葉が真実を保証する場と、言葉が虚構であることを示す場を用意して、それぞれの中で言葉を使い分けています。
前者の、言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなす場が真実界であり、その中で私たちは儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などを行なっています。つまり、「マコト」「ナライゴト」「サダメゴト」などです。
他方、後者の、言葉の示すことをすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場が虚構界ですが、ここでは遊戯、弛緩、怠惰、放蕩、遊興、浪費、蕩尽などを行なっています。いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」などです。
2つの世界のうち、真実界のマコト、ナライゴト、サダメゴトなどを求める真実願望に向けて、積極的に働きかえる方法が差真化です。
つまり、差真化戦略とは、真摯・虚構軸上の真実界から生まれてくる、儀礼や儀式、学習や訓練、自制や自律などを求める真実願望に応えて、新たな儀式や儀礼、勉学やトレーニング、自省法や内観法など、時代や社会の変化に応じた、新しいコトを創り出し、商品やサービスのうえに載せていく手法といえるでしょう。
差真化は、真摯・虚構軸の上の真実界から生まれてくる真実願望に応えて、新しいネウチを創り出し、商品やサービスのうえに載せていく手法です。
私たちの生活体を創り出している言葉には、真実を示す機能とともに、真っ赤な嘘を示す機能も潜んでいます。
だが、このままでは不安になりますから、私たちは予め、言葉が真実を保証する場と、言葉が虚構であることを示す場を用意して、それぞれの中で言葉を使い分けています。
前者の、言葉の示すことを全く疑わないで、すべてを真実とみなす場が真実界であり、その中で私たちは儀礼、緊張、勤勉、学習、訓練、節約、貯蓄などを行なっています。つまり、「マコト」「ナライゴト」「サダメゴト」などです。
他方、後者の、言葉の示すことをすべて虚構とみなしたうえで、その嘘を楽しむ場が虚構界ですが、ここでは遊戯、弛緩、怠惰、放蕩、遊興、浪費、蕩尽などを行なっています。いわゆる「ザレゴト」「アソビゴト」「カケゴト」などです。
2つの世界のうち、真実界のマコト、ナライゴト、サダメゴトなどを求める真実願望に向けて、積極的に働きかえる方法が差真化です。
つまり、差真化戦略とは、真摯・虚構軸上の真実界から生まれてくる、儀礼や儀式、学習や訓練、自制や自律などを求める真実願望に応えて、新たな儀式や儀礼、勉学やトレーニング、自省法や内観法など、時代や社会の変化に応じた、新しいコトを創り出し、商品やサービスのうえに載せていく手法といえるでしょう。
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